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セデンタリー・ライフスタイルが健康を阻害する

オフィスワーカーよ、運動しながら仕事しよう

[坪田一男]慶應義塾大学医学部眼科学教室教授、同大学SFC研究所ヘルスサイエンス・ラボ共同代表

慶應義塾大学にある私の教授室にはダンベルやバランスボール、ヨガマット、トランポリンなどを置いています。デスクワークをしながら筋肉を鍛えたり、飛んだり跳ねたりしているわけです。上の写真のように、パソコンに向かうときはバランスボールに座って、ダンベルを持ち上げます。すると自然と体がバランスを取り、普段使わない筋肉を鍛えることができます。

こんなふうに健康器具を揃えているのは、仕事中の座りっぱなしを防ぐため。オフィスを仕事空間としか見るのではなく、ジムのような健康空間としてもとらえているのです。

セデンタリー・ライフスタイルがもたらすさまざまな悪影響

私は眼科の医師・研究者でありながら抗加齢医学(アンチエイジング医学)にも注目し、研究してきました。人がどんな環境でどのように目を使っているのか、さらにどのように過ごすことで老化するのか、あるいは若さを保つことができるのかといった観点から見ると、現代のオフィスにはたくさんの問題点があると感じています。

まず、ほとんどの人が座って仕事をしていること。世界保健機関(WHO)が調査した「日本人の病気と運動量」によれば、座りっぱなしの生活をしている人が人口の65.3パーセントにも上ることが分かりました。

座りっぱなしで体を動かさない生活を「セデンタリー・ライフスタイル(Sedentary Lifestyle)」といいます。WHOによれば、セデンタリー・ライフスタイルは喫煙、不健康な食事、アルコールの飲み過ぎと並んで、がん、糖尿病、心血管障害、慢性呼吸器疾患を引き起こし、世界で年間約200万人の死亡原因になるとされています。1日に10時間以上座っている人は、1日4時間以下の人よりも病気になるリスクが40パーセント高くなるとか、1日に6時間以上座っている人は3時間以内の人より早死にしやすいというデータもあります。

人間は本来、動くように生まれた動物なんです。身体も脳も、動かさなければ酸素や血液、リンパの流れが滞りますし、血圧や血糖値もうまくコントロールできず、健康を保てないということです。

実際、運動している人の方がドライアイや白内障、緑内障、加齢黄斑変性が少ないという報告もあります。精神科の領域でも、運動することで抗うつ剤が要らなくなった例が報告されています。抗うつ剤は神経伝達物質のバランスを調整する働きがあるのですが、運動にも同じような効果があるということです。

身体を動かすことで脳の働きがアップする

ハーバード大学医学部のジョン・J・レイティ准教授は、運動することで脳内の栄養物質であるBDNF(脳内由来神経栄養因子)が増えて、脳の神経再生が促されることを明らかにしました。研究結果をまとめた著書『脳を鍛えるには運動しかない!』(NHK出版)は日本でも話題になったのでご存知の方もいるでしょう。

学習や記憶をするためには、ニューロン(神経細胞)同士を結び付けて新しく学んだ情報を定着させる必要があります。そのとき必要なのがBDNFなのですが、このBDNFは加齢やストレスで減少していきます。ところが最大心拍数の80~90パーセントを超える運動、例えばジョギングなどの有酸素運動をすることで、BDNFが脳、特に海馬で増えることが分かってきました。

さらに運動で筋肉を収縮すると成長因子が身体から脳に送られ、脳の成長を助けます。結果として、学習、記憶、思考、感情のコントロールがよりうまくできるようになるのです。運動すると頭が良くなるということ。座りっぱなしの生活は脳にもよくないということです。

この本には興味深い事例が紹介されています。アメリカのイリノイ州にあるネイパーヴィル学区での「ゼロ時限体育」です。

この高校は成績優秀とはいえなかったのですが、ある体育教師が学校の始業前に生徒にトラックを走らせたり、ランニングマシーンやエアロバイクで運動させるようにしたところ、学業成績が飛躍的に伸びたのです。世界38カ国から約23万人の生徒が参加するTIMSS(国際数学・理科教育動向調査)という国際的基準の数学と理科のテストでは、ネイパーヴィルの生徒が数学で世界6位、理科では世界1位という結果が出ました。

ハーバード大学にランナーを増やす「ハーバード・オン・ザ・ムーブ」

脳が学習するということはニューロンの結びつきを作ることで、運動はその働きを助けます。授業の前に運動することで脳を刺激し、生徒たちの学力が上がったといえます。運動がうつの予防になるというのもこうした理由からなんですね。

こうした知見を踏まえて、ハーバード大学では「ハーバード・オン・ザ・ムーブ(Harvard On The Move)」というアクションが自助的に行われています。時間を決めて学生、教官、大学スタッフ、みんなで走るのです。重要なのは動くことの大切さを広く知らしめることで、組織で健康推進をするにはこうしたアクションは有効だと思います。ミシガン大学でも同じようなキャンペーンを行っています。

アメリカ元国防長官のドナルド・ラムズフェルド氏はスタンディングデスクで執務していたといいますし、ルームランナーで運動しながら会議を行うグーグルの事例もあります。立って、あるいは運動しながら仕事をすると血行が促進され、脳にも酸素が届くので集中力が高まり、よいアイデアも出やすくなります。会議時間も短くなりますし、受ける恩恵は大きいと思います。


慶應義塾大学SFC研究所ヘルスサイエンス・ラボは健康維持・増進、病気予防、すなわちヘルスサイエンスをテーマとした研究機関。食事、運動、心のあり方を3本柱として研究と教育を展開している。2011年10月設立。
http://health-science-labo.com/


セデンタリー・ライフスタイルの危険性について書かれた坪田氏の著書『1日6時間座っている人は早死にする!』(KKベストセラーズ ベスト新書)。

脳をうまく誘導すれば
運動効果をより高めることができる

運動と脳の関係については、ワーカーを対象とした研究もあります。ハーバード大学の心理学者エレン・ランガー博士らは、ボストンの9つのホテルの客室清掃担当者を対象に、運動と健康に対する調査を行いました。このときホテルを2つのグループに分けて、A群には「あなたたちがいつも行っている客室の掃除やベッドメイキングは運動です。WHOが推奨する1日30分の運動以上に相当します」と話し、一方のB群にはそういう情報を伝えませんでした。

1カ月後、B群の人たちは体重、体脂肪率、血圧のいずれもほとんど変化がありませんでしたが、A群の人は体重が平均1.5kg減り、体脂肪率は0.5パーセント低下、血圧も10パーセント下がっていたのです。

この結果が何を意味するかといえば、意識して運動すると効果は高まるということ。ですから運動しているときは「健康にいいことをしている」と認識するのがいいんですね。

ビタミン剤を薬と信じて飲むと本当に病気が治るという、いわゆるプラシーボ効果はよく知られていますが、脳が身体に与える影響は計り知れません。それを逆手に取る形で、脳をうまく誘導してあげれば運動効果をより高めることができるというわけです。

通勤ラッシュをエクササイズのチャンスと考える

では、1日にどんな運動をどれくらいすればいいのか。医学誌『ランセット』で報告された研究では、1日15分するだけでほとんどの病気の罹患率が減るとされています。

毎日15分間、速歩きなどの中等度の運動をする人は、全く運動しない人に比べて死亡リスクが14パーセント減り、寿命が3年延びるという調査結果が出ています。少し息が上がってゼイゼイするくらいと考えればいいでしょう。それ以上の運動を15分、それも朝晩や朝昼晩に分けてもいいのです。例えば朝、通勤で家から駅まで5分歩くとしたら、往復で10分ですよね。お昼時に5分歩けばノルマは達成できます。

厚生労働省の調査でも、車をよく使う人にメタボリックシンドロームが多い傾向が報告されています。また、これとは別に、県別の肥満と自動車保有台数との関連についての調査があり、東京、神奈川、埼玉、千葉の南関東や大阪、兵庫、京都の京阪神地区では1人あたりの自動車保有数が少ないと同時に肥満度も低かったとされていて、電車やバスを移動に使うからではないかと予測されています。通勤もエクササイズになるということです。

ラッシュアワーで揉まれるときも「エクササイズができてラッキーだ」と思えばいい(笑)。公共交通は私に言わせたら運動器具ですよ。そういう風に見方を変えれば、通勤が苦にならないばかりか、脳が「これは身体にいいんだ」と認識しますから運動効果もアップします。

健康はお金と同じ。自分で守る意識が求められる

注意したいのは、人によって合う運動、合わない運動があることです。それを見つけるには勉強するしかありません。

かつては銀行にお金を預けていれば安全だったけれども、今はペイオフ解禁で預金全額が保証されるとは限りませんし、投資をしていれば投信、債券、為替も勉強しないといけない。勉強して自分のお金は自分で守らないといけないように、健康を守るためには勉強して自分なりに対策を講じなければなりません。健康も同じです。

医療費が増大し、年金制度も決して安泰とは言い切れない時代です。老いは誰しも避けられないものですが、できるだけ老化を遅らせて生き生きと健康に暮らしたいですよね。そのためには自分なりに研究して学ばなければいけない。やればやるだけ健康になるわけですから、がんばる価値はあります。

運動を続けるための3要素として、自分の意思で行う「自主性」、運動する仲間を作る「関係性(仲間)」、無理せず「能力に合わせること」が挙げられます。いきなり10km走るのは無理でも、今日これから15分間歩くのならできるのではないでしょうか。ぜひ毎日の生活に運動を取り入れてみてください。

WEB限定コンテンツ
(2014.9.19 新宿区の慶應義塾大学にて取材)


仕事の合間にヨガを行う坪田氏。深い呼吸で身体や脳に酸素が送られると、作業の能率も上がる。

坪田一男(つぼた・かずお)

1955年東京生まれ。慶應義塾大学医学部眼科教授。慶應義塾大学SFC研究所ヘルスサイエンス・ラボ共同代表。日本抗加齢医学会理事長。80年慶應義塾大学医学部卒業後、日米の医師免許を取得。85年米国ハーバード大学留学、87年角膜クリニカルフェロー修了。高齢化社会の視力の問題にも視野を広げ、日本におけるアンチエイジング医学の研究と導入に本格的に取り組む。
http://www.tsubota.ne.jp/

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