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目先の快楽よりも遠くの幸福を優先させられるか?

タイムパースペクティブの観点から人材戦略を立てる

[金井壽宏]神戸大学大学院経営学研究科教授

――最近は、若年層、とくに新入社員の離職率の高さが話題になります。優秀だから会社を辞める社員がいる、という話とは別に、企業側が機会損失をしているという可能性はありませんか。

人間は組織に入った後、長くいればいるほど、そのコミットメントを強めていきます。しかし、直線的に伸びていくわけではありません。J字型カーブと呼ばれるように、最初はいったん落ち込み、約10年かけてJの字を描くように上昇します。

当初の落ち込みは、「リアリティ・ショック」と呼ばれるもので説明できます。期待と現実のギャップによる組織への幻滅感からコミットメントが失われ、それが上昇し始めるのは入社後5~6年目に入ってからです。つまり、この会社、この業種でやっていけそうだと思えた頃からです。

企業側の考える雇用のしくみと、社員側が望むキャリア観のズレが、そのまま退職リスクとなるのです。

私はかつて『働く人のキャリアデザイン』という著書の中で、「最低必要努力量」という言葉を作りました。石の上にも3年、というと保守的に聞こえるかもしれませんが、その世界が自分にあっているかどうかを感知できるほど、十分な努力を投入する前に、すぐに仕事を変えてしまっては危険、ということです。

たとえば、企業内で「営業の達人」と呼ばれるような人でも、最初から数字を達成できたわけではないし、それに至る過程で「 最低必要努力量」を投入してきたからこそ、向き不向きも判断できたはず。

まれに私のゼミ卒業生も、入社した会社をすぐ辞めたいという相談にきます。

そんなとき私は、「その会社や仕事を好きになるために必要な努力量を投入したか」と聞くようにしています。 仕事によっては5年経っても面白さを実感できないけれど、6年目からぐっと視界が開けてくる、ということもあるからです。もしそういう種類の職場ならば、5年でやめてしまうのはもったいない。

こうした歯がゆさは、雇用している企業の側からすればなおさらであり、もう少しだけ我慢してもらえたら、と切に願う気持ちはよく理解できます。

時間的コストから「最低必要努力量」を考える

私の「最低必要努力量」は投資する努力という量的コストからのアプローチですが、投資する時間的コストからみる考え方もあります。

スタンフォード大学のフィリップ・ジンバルドー教授によれば、人間の時間的展望には個人差があり、主観的な幸福度、満足度に影響を与えているといいます。彼は著書『迷いの晴れる時間術』(ポプラ社刊)の中で、「タイム・パースペクティブ(時間的展望)」という概念を作りました。人間の時間のとらえ方には五種類あるという説で、「未来志向型」「過去肯定型」「過去否定型」「現在快楽型」「現在運命論型」に分けられます。

その難しい説明は置いておいて、彼の実験映像がユニークでわかりやすい。

たいていの子どもに好きなお菓子(マシュマロ)を1つ見せながら、自分が残りのお菓子を車に取りに行っている間、渡した分を食べずに待っていられたら、さらにもうひとつ、つまり合計で2つあげる、と言い残して、部屋に残った子どもの様子を映すというようなもの。

すぐに食べたいけれど、我慢すればもっともらえると思って、けなげに見て見ぬふりをしたり、気を紛らわすために歌ってみたり。最後まで我慢できる子もいれば、すぐに食べてしまう子もいます。

ジンバルドー教授の講演をご覧になれば、そこで、子どもを被験者とした実験の映像を見ることができます。教授が戻るまでの子どもの仕草が非常にかわいく興味深いので、英語がわからなくても、我慢する子どもの健気な姿、あわせて、我慢できない子どもの自然な姿は、一見の価値があります(映像も非常にきれいです。3分31秒経過したところから実験が始まります)。

ここに「タイム・パースペクティブ」の違いが顕著に出るわけです。未来の利益を重視して、今の欲望を抑えられるタイプ(未来志向型)や、当面の満足を重視してすぐに食べてしまうタイプ(現在快楽型)、いろいろ迷ったあとにふとしたきっかけで食べてしまうタイプ(現在運命論型)など。

こうしたタイプはもとからの個人差もありますが、一方で、国際比較も面白そうです。こうした感覚は文化的に共有されている部分もあるでしょうから、そこから得られる実験結果に興味があります。 国際比較のために、神戸大学の私の同僚の高橋潔さんがジンバルドー教授と連携して日本版の調査を進めているところです。そもそも、今のように厳しい時代でなくとも、いい我慢のできない人は子どもでも困ったものだし、社会人になってもいい我慢ができないと、それはもっと由々しいことです。今は苦しくてもよく耐えるという、ドラマ”おしん”のような時間的展望によった美徳が、まさにこの厳しい時代に入ったときにこそ求められるのに、それが萎えてしまったらこれもまた由々しいことです。

今の努力はいい我慢か、悪い我慢か?

同じように、企業のカルチャーとしても「タイム・パースペクティブ」の違いはありうると考えています。そこそこ長く勤めると面白さがわかる、という中長期の展望が持ちやすい会社と、いくら勤めても仕事に代わり映えがない、という短期的な視野に陥りやすい会社もあるでしょう。

逆にいえば、経営者はそうした社員が抱く「タイム・パースペクティブ」も含めて、人事戦略を作っていく必要があります。

日本企業はもともと、我慢強い人材を褒めてきました。もちろん、我慢が行きすぎると、人材は活力を失います。一方で、適度な努力量や時間的投資を大事にする文化が果たす役割があるわけです。いい我慢と悪い我慢があるとしたら、いい我慢を忘れてはいけない。そういう関係性の持ち方は企業と社員の幸せのかたちの重要なカギになると思います。

 

WEB限定コンテンツ
(2012.1.28神戸大学大学院経営学研究科にて取材)

組織のコミットメント
会社や所属組織に対する精神的つながりを表すもの。コミットメントは「愛着(素直にこの組織が好きだという気持ち)」「規範(この組織を離れるべきではないという気持ち)」「しがらみ(この組織を離れられない、今さら他のところは探せないという気持ち)」の3つの側面を持つ。ポジティブとネガティブの両方の共感度合いが存在する点が重要。

コミットメントの成長曲線
金井教授らの調査によると、「コミットメントは組織に入った直後にいったん下がり、年数をかけてゆっくりと上昇する」という。グラフ上ではJ字カーブとして表される。結婚を例にとると、恋人時代を経て、結婚して日々顔を合わせるようになると、最初は「こんな人だったのか」と幻滅があって下がるが、そこからじわじわと「やはりいい人だ」と愛着が育まれて上昇する。


『働くひとのためのキャリア・デザイン』金井壽宏 著
PHP研究所 刊
就職や昇進、転職といった節目を迎えたときに、自ら主体的に意味付けをすることの大切さを説いた一冊。キャリア研究から経営学、発達心理学までさまざまなエッセンスを加えつつ、「賢い働き方」をやさしく解説する。

フィリップ・ジンバルドー
philip zimbardo

スタンフォード大学の心理学者。環境や状況といった外的要因によって善人とされていた人が悪事を働くしくみを考察した「ルシファー・エフェクト」や、学生を看守と囚人に分けてロールプレイングをさせたところ、時間の経過とともに看守は看守らしく、囚人は囚人らしく振る舞うようになったとする「スタンフォード監獄実験」など、斬新な研究で知られる。

金井壽宏(かない・としひろ)

神戸大学大学院経営学研究科教授。1954年神戸市生まれ。京都大学教育学部卒業。神戸大学大学院経営学研究科修士課程修了。マサチューセッツ工科大学でPh.D.(経営学)を取得。リーダーシップ、モティベーション、クリエイティブなマネジメント、ネットワーキング、キャリア・ダイナミクスなどのテーマを中心に、組織や管理のあり方を探求している。『「人勢塾」ポジティブ心理学が人と組織を鍛える』(小学館)など著書多数。

 

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