このエントリーをはてなブックマークに追加

「ポストコード2010」の住人が集う
クリエイティブ・コミュニティ

[Paramount House]Sydney, Australia

カフェやセレクトショップが立ち並ぶ情報感度の高い街、サリーヒルズ。ここに、1970年代初頭までオーストラリアの映画文化の象徴とされた建物が立ち並んでいる。かつての持ち主はパラマウント・ピクチャーズと20世紀フォックス。インターネット前史のこと、通りを行き交う人々は、レンガ造りの美しい建物を見上げるたび華やかなハリウッドを想像した。だが2つの会社が退去してから30年余り、テナントの業績がふるわない時代が続いた。

そんな不遇の建物を地域のクリエイティブ・コミュニティを育む複合施設「パラマウント・ハウス」として蘇らせたのは、新たに建物を購入したデベロッパーと、デザインを担当した都市開発コンサルティング・エージェンシーのライト・アングル・スタジオだ。彼らは過去のテナントが根付かなかった反省を踏まえ、カフェ、映画館、バー、スポーツクラブ、コワーキングと、慎重に1つずつ選んだ。「こうした手法はオーストラリアでは珍しい」とライト・アングル・スタジオのディレクター、バリー・バートン氏は言う。「通常はもっとタイトなスケジュールで、ほとんどの建物は一度にテナントを選びます」(バートン氏)

最初に決まったテナントはカフェ「パラマウント・コーヒー・プロジェクト」だ。「サリーヒルズの人々は毎日コーヒーを飲みますから」と、上質なコーヒーを提供すれば新しいコミュニティが生まれ連鎖的に成功すると確信していた。協力的な姿勢かどうかもテナント選びのポイント。建物内では多くの人々がそれぞれにコミュニティを構成する。スペースを共有する意識を持ち、友好的な関係を築けるテナントを探した。テナントがすべて決まるまで8年の歳月が費やされたが、こうして街に根付いたことを思えば苦労の甲斐はあった。

パラマウント・ハウスの外観。右奥に見えるのが、かつてパラマウント・ピクチャーズのオーストラリア本社として使われていたアールデコ調の建物だ。

  • カフェ「パラマウント・コーヒー・プロジェクト」。独自のカフェ文化を発達させたオーストラリアでは、朝からビジネスパーソンがコーヒーカップを片手にミーティングする姿が珍しくない。

  • パラマウント・ハウスの中で最初に誘致したテナントがパラマウント・コーヒー・プロジェクト。のちに、映画館、バー、最上階にある広告会社のワークスペースと続いた。地域コミュニティの中心だ。

  • カフェのエントランス付近。訪れるのは「徒歩5分で来られる」地元の住民ばかり。パラマウント・ハウスのワーカーもほとんどがこのエリアに居住しているという。朝はビジネスミーティングが多い。

  • 「どのテナントを選ぶにも、ベストな質を求めました」(バートン氏)との自負がここにはある。リラックスのため、仕事のため、各人が思い思いの時間を過ごせるカフェだ。

  • パラマウント・ハウス最上階に入居している広告会社のワークスペース。このコミュニティの雰囲気に惹かれ入居を決めたという。

  • 屋上階にはカフェやヨガスタジオ、マッサージルームを併設する「パラマウント・レクリエーション・クラブ」がある。フィットネスクラブはメンバーシップ制だが、カフェは出入り自由。

  • パラマウント・ハウスに入居する「パラマウント・ハウス・ホテル」。客室は29部屋、1つとして同じデザインの部屋がない。「Sunny」と名付けられたこの部屋はフレンチリネンのシーツ、テラゾーのバスルーム、植物で満たされたアルコーブが売り。

  • パラマウント・ハウス・ホテルのレセプション。オーストラリア出身の芸術家の作品が飾られている。カウンターに備えられたタップからウェルカムドリンクとして炭酸水、コンブチャ、ビールを選べる。

  • パラマウント・ハウスのサイン。控えめで洗練されたグラフィックやサインがそこかしこに施されている。目立つのではなく、地域に溶け込もうという意志を感じ取れる。

  • ホテルの客室の中には、小さなインナーバルコニーを備えた部屋もある。ルーバーからは乾いた風と自然光が差し込む。

コミュニティを重視する姿勢が
ミレニアル世代の若者を惹き付ける

そもそも公共交通機関が発達していないシドニーは、旅行者にはあまり向かない街だとバートン氏は考えている。「東京のように山手線がありませんからね」。ここを訪れるのも、多くが近隣住民。それも建物と同じ「ポストコード(郵便番号)2010」のエリアで暮らす「ネイバーズ(隣近所)」だ。サリーヒルズはオーストラリアでも指折りの人口密集地。小さなアパートで暮らす若い単身世帯が多く、徒歩5分で行けるシドニーの中心部で働いている。いつも新しいことやおもしろいことを探している彼らのことだ。パラマント・ハウスに目をつけるのは当然のなりゆきだったことだろう。またパラマウント・ハウスのように、コミュニティを重視し、地域に対して責任を持つ企業はミレニアル世代の価値観とも重なる。

「55歳より上の世代の方々は若年世代とは考え方が異なると捉えています。若者には常にインターネットがあり、フェイスブックやインスタグラムなどのコミュニティの中で他人との関係性を意識しています。彼らは気候変動や同性婚など、さまざまな価値観を発信し、人々と共有したいと考えているのです」(バートン氏)

ワークスペース1つとっても、ミレニアル世代の価値観は反映されている。彼らはただ働く環境さえあればいいとは考えない。コワーキングスペースを手がけたジ・オフィス・スペースのファウンダー、ナオミ・トシック氏は「『仕事へ行く』ことが『教会に行く』ことの代わりになっている」と表現。「人々はスピリチュアルなものやコミュニティを求めてこの建物を訪れます。私たちはそのニーズに対して対応できているのではないでしょうか」。Netflixよりも映画館、Uber Eatsよりもカフェを好む彼らは、人と会いたがっている。それを妨げることがないよう、建物内にはニュートラルで洗練されたものしか置いていない。

今、ライト・アングル・スタジオには、大企業からのオフィス設計の依頼がひっきりなしに舞い込んでいるという。彼らは一様に保守的で、それだけに若者を集められる新しい職場環境のアイデアを外部に求めている。

「私たちのクライアントは、つねにさまざまなタイプのコンサルタントからアドバイスを受けています。その中でも私たちの意見は特殊なものでしょう。私たちはこの建物内の人々を観察し、クライアントへ伝えています。人々が何を求めているか、ほかのコンサルタントとは違った見解を述べられるのです。大企業のクライアントにとって、私たちはとても小さなアドバイザーかもしれません。でも、そんな会社だからこそ堂々と違う視点で意見を言えるのだと思います」(バートン氏)

ライト・アングル・スタジオ
ディレクター
バリー・バートン

ジ・オフィス・スペース
ファウンダー
ナオミ・トシック

  • 映画館に併設されているバー。「ゴールデンエイジ・シネマ&バー」と名付けられている。ライト・アングル・スタジオが運営。

  • テナントの1つ、ワインバー「Poly」。オーストラリアのワインを中心に気軽な価格帯で食事とドリンクを楽しめる。

  • コワーキングスペース「ジ・オフィス・スペース」。現在22社が入居する。各社が専用の個室を持ち、プライバシーを守りながら、共有スペースでの交流もある。アートにも力を入れている。

  • 1930年代当時の試写室の趣を再現した映画館。週6回、夜に2本の映画が上映されている。日中は、ビジネス・プレゼンテーションやワークショップにも利用される。

  • コワーキングスペース内の個室。ティータイムになるとキッチンに姿を見せるワーカーも。居心地がよいのか、オープンから3年経っても顔ぶれは最初に入居した企業のまま。

  • 「パラマウント・レクリエーション・クラブ」。24時間営業のフィットネスクラブだ。ヨガやボクササイズなど、週に220ものクラスを提供している。

text: Yusuke Higashi
photo: Hirotaka Hashimoto

WORKSIGHT 16(2020.7)より

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

RECOMMENDEDおすすめの記事

異なるカルチャーを結合するオープンなプロセス

[博多小学校]福岡市, 福岡, 日本

イノベーションの土壌となる法の「余白」を生み出す

[水野祐]シティライツ法律事務所 弁護士

マルチステークホルダー・プロセスを成功に導くのは「弱いリーダー」

[齋藤貴弘]弁護士法人ニューポート法律事務所 パートナー弁護士、一般社団法人ナイトタイムエコノミー推進協議会 代表理事

TOPPAGE
2022年7月、「WORKSIGHT[ワークサイト]」は
「自律協働社会のゆくえ」を考えるメディアへと生まれ変わりました。
ニュースレターを中心に、書籍、SNS、イベント、ポッドキャストなど、
さまざまなチャンネルを通じてコンテンツを配信します。

ニュースレターに登録する