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仕事に支配される人生を切り替えるべき2つの理由

労働時間の上限規制を設けた法改正の裏側

[水町勇一郎]東京大学 社会科学研究所 教授

高度成長期に成立した日本型雇用システムは「終身雇用」「年功序列」「企業別組合」を特徴としています。

雇用を守り、長く働くことで賃金も処遇も上がり、労働条件や就労環境で問題があれば企業内の組合で話し合って解決するという、労働者にとってはいい仕組みなんですが、これがうまく機能するのは人口増加時代、新しい戦力が下からどんどん入って来る成長ベースの時なんですね。

オイルショック以降、社会の変化が激しくなり、かつ少子化で新しい人も入って来なくなり、市場も成熟して成長が頭打ちとなっています。グローバル化で競争が激しくなる中で、雇用システムがうまく機能しなくなってきたにも関わらず、特に大企業を中心に旧態依然とした体制が維持されている。そして、そのシステムの対象が主に正社員に限定されていることが問題です。


東京大学 社会科学研究所は法学・政治学・経済学・社会学の4分野にまたがる総合的な社会科学の研究所。1946年8月に設立された。https://jww.iss.u-tokyo.ac.jp/

働き方改革で日本の雇用システムのバランスを取り直す

欧米と比べると、日本ではジョブ・ディスクリプションが不明確なうえ、正社員の数が増えていません。一方で仕事は増えているということで、正社員に過重な負担がかかり、長時間労働や働き過ぎといった弊害を招くわけです。

また、正社員と非正社員の垣根が大き過ぎることも問題で、非正社員はちゃんとした処遇を受けられない。結果として、やる気を失ったり訓練の対象にならなかったりして、生産性が上がらない。さらに収入が上がらない、生活が苦しいといった事態も招きます。

グローバル競争に突入して、賃金の高い正社員と安い非正社員でどちらを雇うかといえば、コストの安い非正規を増やそうと考える企業はどうしても多くなります。すでに就労者全体の約4割が非正規雇用で、一生懸命働いても200万円稼げないという状況にある。これでは普通の家族生活を送ることはできないですよね。

正社員を中心とした過重労働と、非正規を中心とした雇用環境の悪化という具合に問題が二重構造になっているわけです。両者の格差がいびつな形で起こり、全体としてのシステムが持続可能にならない状況に陥っているのが現状です。

これを改めようというのが働き方改革です。長時間労働や正規・非正規の格差を是正し、日本の雇用システムのバランスを取り直そうということで取り組みが進められています。

水町氏は、安倍晋三首相(当時)が議長を務めた「働き方改革実現会議」に有識者として参加。労働法の専門家として意見を述べた。

罰則つきで労働時間に上限規制を設けたのは大きな一歩

大きなところでは2018年に労働法の改正があり、労働時間の上限規制が設けられました。

従来であれば、企業は36(さぶろく)協定を締結して特別条項を付けると*、従業員に制限なく残業させることができたのですが、改正後は残業は1カ月100時間未満、平均80時間以下、年間で720時間以下、月45時間以上の残業は年6回までと定められ、なおかつこれを遵守しない場合は罰則が科せられるようになりました。大企業では2019年4月から、中小企業は2020年4月から適用されています。

罰則つきの措置というのは、この30年間ずっと議論してきてできなかったことなんです。というのも、罰則つきだと働きたい人でも働けなくなってしまうからなんですが、これだけ過労死や過労自殺の問題が噴出している昨今、さすがに今度こそ罰則をつけないと実態を変えられないということで、ようやく罰則がついたわけです。

法改正が実際にどれくらい浸透しているのか、企業の変化の評価はこれからですが、上限規制は医師、自動車運転業務、建設事業を除いて既に適用されていますし、大企業は多くのところでは守っていると思われます。中小企業については、対応が遅れているところはあるでしょう。

* 36協定は、労働基準法36条に基づき、企業が法定時間を超えて労働者を働かせる場合に必要な労使協定。特別条項は上限の基準を超える場合の時間を定めたもの。これらの設定によって長時間の残業が適法となっていた。

仕事中毒では定年後にやることがなくなり、
居場所も失って、本人が苦しむ

上限を定めたとはいえ、それでもかなりゆるい制限です。週40時間、4週間働いたうえで、それを超える上限が100時間とか80時間ということですから、心身に不調をきたさないための最低限の枠に過ぎません。海外から見れば論外の数字なんですよ。本当はもうちょっと低めに設定できればよかったと思います。

日本人は「働くことがいいことだ」「働かざる者食うべからず」といった意識を知らず知らずのうちに内在化しているので、放っておくと80時間、100時間と残業し、ついには過労死や過労自殺までしてしまうわけです。働くことに積極的だけれども、過度に働かされたらさっさと辞めるアメリカとは対照的です。

上限を設けることに抵抗感を示す人々の中には、仕事中毒のような人もいます。そういう人は趣味がなくて、「自分で好きなだけ働きたい」「働くことが生きがいだ」と言うのですが、それでは仕事以外に生活や趣味を楽しむ機会がないということにもつながります。そのまま行けば定年後にはやることがなくなり、居場所も失って、かえって本人が苦しむことになります。

なので、仕事に支配される人生はどこかの時点で切り替えないといけない。仕事を目いっぱいしたい人はある程度はしてもいいけれども、これ以上働いたら健康被害があるという限度は超えないようにしてもらう必要があります。

生産性の高い企業は、意外と労働時間が短い

ワーカホリックな人に対して、なぜ労働時間の上限が必要かを訴えるのに、私は2つの論点があると思っています。

1つは、健康を害するレベルまで仕事をすると、他の人にも迷惑がかかるということ。仮に150時間働いている人が成果を上げたら、上司はそれを見習うように他のメンバーにも迫るでしょう。すると他の人も150時間働かないと評価を得られないことになってしまい、結局職場の中で悪循環になるんですね。自分が長時間労働することは、他人に迷惑をかけることにもつながるということは強く意識しておかないといけません。

もう1つは、長時間労働が生産性を阻害するということです。自分では働きたいと思っても、働き過ぎた挙句、身体を壊したら会社に迷惑をかけるし、企業の生産性も低下します。

生産性の高い企業は、実は労働時間が短いんです。日本では労働時間が長い分、時間当たりの生産性が相対的に低く、休業のリスクもある。ならばオンとオフのメリハリをつけた方が、よほど効率がいいと考えられます。

時間の使い方を見直して、人生をどう送っていくかを考える

実際、むやみに長時間働くより、短時間に集中して働いた方が生産性が上がるという企業が多く出てきています。もともと生産性が高くて競争力のある企業が残業なしにするわけですから、他の企業への波及効果も見込めるでしょう。今回の法改正は、日本企業に一回立ち止まってもらって、何のために働くのか考えてもらうという意味合いもあるわけです。

残業の上限が月100時間、平均80時間となっても、まだまだ日本の労働時間は長いです。法改正をきっかけに意識改革が進めば、ワークライフバランスを追求する動きにもなるのではないか。そうなれば労働時間はもっと短くていいという議論につながるかもしれません。

時間の使い方を見直して、人生をどう送っていくかを考えてみる。それが社会全体のバランスを取るために必要ではないかと思っています。

これまでの労働法改革の中では実効性は上がっている

正規雇用と非正規雇用の格差の是正にも法改正で切り込んでいます。同一労働同一賃金については大企業では今年(2020年)4月から適用されていて、中小企業は来年4月のスタートです。

大企業の施策はいろいろですが、正規と非正規を問わず手当を出す、福利厚生に差をつけない、ボーナスも配慮するといった形で就業規則を改正し、非正規の待遇改善を果たしたところが多いようです。

東京大学も非正規職員の待遇改善を進めていて、今年2~3月の新型コロナウイルスの感染拡大時は、正規・非正規に関係なくテレワークできる環境が整っていました。有給の休業も一律に認められるようになりました。

リーマンショックのときは多くの有期短時間や派遣の労働者が雇用保険の適用対象外で苦しみましたが、コロナ禍では多くの有期短時間や派遣の労働者にも雇用保険や政府の給付金のカバーが及んでいますし、大企業を中心に正社員との待遇格差を改める動きも広がっています。その点ではだいぶ前進しています。

法律を変えてただちに実態が変わるわけではないものの、これまでの法改正と比べると、今回の働き方改革はマスコミでもよく話題になるなど世間の注目度も高い。これまでの労働法改革と比べると実効性はある程度上がっているし、それだけ社会にも広く浸透していくのではないかと思います。

増加するフリーランスへの対応が望まれる

現時点(2020年8月)で対策が急がれるのがフリーランスへの対応でしょう。フリーランスは失業保険の対象になっていません。持続化給付金(個人事業主には上限100万円)はあったけれども、給付は1回きりで、資金繰りに行き詰まるフリーランスもいるはず。いってみれば、リーマンショックのときの非正規クライシスの問題が、いまフリーランスのクライシスになっているという印象です。

フリーランスは定義があいまいで、人数の把握が難しいのですが、増加傾向にあるのではないかと思います。いわゆる自営業者のようなフリーランスより、雇用に近い形で働くギグワーカーのようなフリーランスが増えています。デジタル化で働き方や稼ぎ方が多様化していることを考えると、今後も増えていくと見込まれます。

次に来るかもしれない危機に備えて、フリーランスに例えば失業手当みたいなものを給付するためのシステムが必要かもしれません。労災保険や雇用保険などのセーフティネットの構築が望まれるのではという議論がいま出てきているところです。

WEB限定コンテンツ
(2020.8.7 文京区の東京大学 社会科学研究所にて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Rikiya Nakamura


水町氏の著書『労働法入門 新版』(岩波新書)は、日本の労働法の理念や特徴を分かりやすく説明している。労働者の問題解決にも役立つ一冊。

水町勇一郎(みずまち・ゆういちろう)

東京大学社会科学研究所教授。1967年佐賀県生まれ。1990年東京大学法学部卒業。2010年4月より現職。専攻は労働法学。主著に『集団の再生―アメリカ労働法制の歴史と理論』『「同一労働同一賃金」のすべて 新版』『労働法 第8版』(以上、有斐閣)、『労働法入門 新版』(岩波新書)、『詳解 労働法』(東京大学出版会)ほか。

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