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他者からのポジティブな評価が「習慣化」に大きく寄与する

SNSは自己同一性に変化をもたらすか

[渡邊克巳]早稲田大学 基幹理工学部・研究科 教授

テレワークが浸透すると、在宅での業務が増えることになりますから、仕事と生活の境界があいまいになると予想されます。この場合、マネージャーやチームのメンバーは、ワーカーそれぞれに生活リズムが違うことに留意する必要があるでしょう。

生活のリズムは人によって違います。早寝早起きがいいとはみんないうけど、それは日中にみんなで集まって仕事をするという社会のあり方による部分もあるわけで、テレワークが推進されるのならそれ以外のやり方も出てきます。中には昼過ぎに目覚めて、夕方から夜通し仕事をして、明け方に眠るというサイクルの人だっている(もちろん健康にどのような影響があるかは別ですが)。その人なりのリズムを維持していくことが重要で、そのような時間の使い方のダイバーシティをどう確保するかも問われてきます。

自分のリズムに基づいて、ワークスタイルを自主的に設計する

前編で、習慣と自己同一性(アイデンティティ)が密接に関係していることを説明しましたが、リズムの設計も自分で決めたと意識できることが大切なんですね。

9時に出社、5時に退社という旧来のワークスタイルの枠が取り払われるわけですから、就業時間を無理に順守させるのではなく、自分のリズムを自主的に設計すること、あるいは自主的に設計したと思わせないといけない。何かをする理由が自分自身に帰属されることで新しい行動が定着しやすくなり、習慣化も促されます。

一方、時間で一律に管理するマネジメント手法から脱却する必要もあるでしょう。別の評価の軸を設定していかなければなりません。

出来高制は報酬が与えられるまでは頑張るけれども、報酬を得たら弛緩しかねませんし、いわゆるホワイトカラーと呼ばれる方々の労働にも馴染まないように思います。成果主義や能力主義も、新しい価値を生み出すことにつながるかといえば疑問です。

となると、本人の能力や個性を踏まえたうえで、事業への貢献度合いがどれほどになったかというような評価の形になるでしょうか。このあたりは新しい人事評価手法の確立が待たれます*。

(トップ写真:アフロ)


渡邊氏の専門分野は、認知科学(知覚、感覚間統合、発達、注意、眼球運動、社会的認知、意思決定)、神経科学(動機、報酬、大脳基底核、脳磁界、発達障害)。
早稲田大学 基幹理工学部 表現工学科・基幹理工学研究科 表現工学専攻・渡邊研究室では、実験心理学、認知科学、脳神経科学といった手法を用いた実験研究などを通じて、人間の認知行動過程を研究している。 http://www.fennel.sci.waseda.ac.jp/

* 取材後の2020年7月、政府の規制改革推進会議は、テレワークを踏まえた新たな人事評価制度の確立を提言した。

他者とつながりたいという欲求を満たす4次報酬

習慣化についてもう1つポイントを挙げるとするならば、新しい習慣がどれほどの報酬価値を持っているかを見極めることも大切です。

仕事の報酬にはいろいろなレベルがあって、お金を稼げることに惹かれる人もいれば、働くことそのものに意味を見出す人もいます。中には人とのコミュニケーションや周りからの評価に心地よさや喜びを感じる人もいるはず。ここでは1~4次の報酬に整理していますが、それぞれがテレワークによってどう変化するかを見ていく必要があります。

1~3次の報酬はもちろん、他者に認められたいという欲求を満たす4次報酬も軽視できません。例えばですけど、50年前にイクメンがいたら、こき下ろされると思うんですよ。育児する時間があれば仕事をしろと。でもいまはイクメンが素敵な存在だと社会的に認知されているから、育児をやりやすいというだけではなく、やりたいと思う。

他者からのポジティブな評価が得られることは習慣化に大きく寄与します。人間は閉じた報酬の中だけで動くのではなく、「こういうことをやっている自分を他の人が見てくれている」という状況そのものが報酬になり得るわけです。

そこに本人の納得性を高める要素である、「実は前からやろうと思っていた」という後付けがあれば、さらにスムーズに習慣化が促されます。テレワークの価値は「効率がいい」「楽ができる」「感染リスクを低減できる」というだけでは実は十分ではなくて、「よりスタイリッシュでかっこいい」とか、「より倫理的(エシカル)である」とかの要素がどこかに入ってこないといけない。そういう戦略が必要ではないでしょうか。

人間は対面のコミュニケーションで
微細なシグナルを交換している

ただ、個人的には、テレワークは決して万能ではないような気がしています。

これまで行ってきた研究から、人間は細かい体の動き、ホルモン、匂い、声による振動などによるシグナルを発し、また相手のシグナルを受け止める能力があると考えています。そのシグナルを相互にやり取りすることで同調やシンクロナイゼーション(同期)が図られ、結果としていいコミュニケーションにつながり、二者間の関係性が構築されていくのではないかというのが私の見立てです。

しかしながら、現状のメディアを使ったテレワークではこのシグナルが抜け落ちてしまうように思います。人と人が対面に会うことの重要性はなくならないと思うし、そのあたりはバランスが求められるのではないでしょうか。

テレワークではその場しのぎがしにくい

もう1つ、逃げ場がなくなることもテレワークの課題ではないかと感じます。

例えば、オンラインの会議がいったん設定されたら、その拘束力は対面の会議より強い。「電車が遅れました」とか「今、手元に資料がないので」というような、その場しのぎの言い逃れがしにくい。

移動にかかる時間やコストを軽減できることこそテレワークの利点なんでしょうけど、とはいえ自由度が増えることが、逆にいい意味での無駄や余裕を失うことにつながってしまうことは世の中にたくさんあります。自由は時に逆説的な影響を及ぼすことがあることも頭に入れておいた方がいいでしょう。

テレワーク一辺倒ではなく、実際に会うコミュニケーションもバランスよく取り入れながら、「集団の中にいる自分」と「一人の自分」を柔軟に行き来できる、そんな組織の方がワーカーにとって心地よく、結果として生産性も上がるのではないかという気がします。


渡邊氏。取材はオンラインで行われた。

発言が一貫していると思い込み、自己同一性を維持する

テレワークに代表されるように、社会のデジタル化はこれからいっそう進行していくと思われます。SNSや企業内チャットを活用する場面もより増えていくでしょう。そうしたデジタル環境が自己同一性にどう作用するか、それはまた習慣化とは別に興味深いところです。

私自身は、現在のような自己同一性の概念が完成したのは近代になってからだと思っています。言動や行動がコロコロ変わるようでは信用にかかわるということで、自我に一貫性が求められるようになっていったわけです。

例えばある人物が「私はAさんが好き」と言って、次の日は「Bさんが好き」と言ったら、ひんしゅくを買うのではないでしょうか。さらに翌日に今度は「Cさんが好き」と発言したら、人間性を疑われるかもしれない。でも人の好みが変わることそのものは、何もおかしなことではない。しかし、近代人としては最初にAさんが好きと言ったら、ずっとAさんが好きでないといけないわけです。

だけど実は人の記憶はあいまいで、発言している本人にしてみれば、Cさんが好きといったときの自分が、ずっとCさんが好きだったと思っていればいいだけの話なんですね。前々からCさんが好きだったと思えれば自己同一性は維持されます。前回話した、野球をやらされていたサッカー好きの子どものようなものです。

いわば自己同一性は幻想なんですが、これができる人は幸せですよね。本当の(と本人が信じている)自分はずっと一貫しているわけです。Cさんが好きだと思うときは、前々から一貫してCさんが好きだったと思い込んでいる。そうやって同一性を維持することが本人にとって重要なんです。

SNSによって発言が残る時代。自己同一性はどう変化するか

これが可能なのは記憶があいまいだからです。しかし、SNSは記憶ではなく記録です。発言が残るようになります。自分は最初にAさんが好きと書いた。その後、Bさん、Cさんと変遷していった。この差を他人だけでなく、自分も認識してしまう状況ができてきた。

そのような状況で人間はどう変わるのか。自分の自己同一性はそれほど一貫したものでないと気づくのかもしれません。自分は何者かという不安が増幅されるのではないかという気もします。

もっとも、こうした懸念は私のように昭和生まれ、昭和育ちの杞憂に過ぎないかもしれません。物心ついたときからデジタル環境に囲まれている世代がこれから増えて、自分の発言や行動が移り変わることに何ら影響を受けない、またそうしたコミュニケーションが許される時代が来るのかもしれない。

そうした可能性を敷衍して習慣化に絡めていえば、「やると決めたから意地でも続けるんだ」という意固地なやり方で何かを習慣化する人は減ってくるとも考えられます。

デジタル環境は人間のあり方を大きく変えるかもしれない

自己同一性の維持がウェルビーイングにとって重要だと感じているのは、近代人だけなのかもしれません。未来の人たちはそんなことは気にしない可能性もある。コミュニケーションも「イマ・ココ」が重要で、過去に何を言ったか、未来にどのように振る舞うかは問われない社会がくるとなると、それはそれで研究者として興味深いですし、近代的価値の革新というポジティブな側面もありそうです。

でもそうすると、誓約って何だろう、約束って何だろうと思うし、石の上にも三年のような考え方はなくなるのかなとも思ってしまう。下手すると会社や組織という概念もなくなってしまうかもしれませんね。さらに、「私」って何だろうという根本的な問題にもつながってきます。

人間にとって自己同一性がどれくらい重要かということを疑わないといけない時代が来るのかもしれません。SNSやテレワークは社会を、さらには人間のあり方をも、大きく変える可能性を秘めていると思います。

WEB限定コンテンツ
(2020.6.4 オンラインにて取材)

text: Yoshie Kaneko

渡邊克巳(わたなべ・かつみ)

早稲田大学 基幹理工学部 表現工学科・基幹理工学研究科 表現工学専攻 教授。1997年、東京大学大学院総合文化研究科 認知行動科学専攻修士課程修了。2001年、カリフォルニア工科大学計算科学-神経システム専攻博士課程修了。Ph.D。日本学術振興会特別研究員、National Institutes of Health(米国)、産業技術総合研究所などを経て、2006年に東京大学先端科学技術研究センター認知科学分野准教授。2015年より現職。

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