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デジタル通信の先駆けは18世紀の腕木通信

250年の情報技術の歩みから見えるもの

[中野明]ノンフィクション作家

18世紀末から21世紀半ばまでの情報技術の歴史を『IT全史──情報技術の250年を読む』(祥伝社)という本にまとめました。

近代的通信技術の先駆けは「腕木(うでぎ)通信」であったと私は考えています。

腕木通信は1794年にフランスで生まれた、電気を使わない通信方法です。通信基地の屋上に支柱を建て、その先に調節器と呼ばれる水平の腕木を1本、調節器の両端に指示器と呼ばれる腕木を2本取り付けます。3本の腕木を動かして角度をつくり、それが信号になるという仕組み。いわば腕木を使った手旗信号ですね。

通信基地は約10キロメートル間隔で設置され、基地に常駐する通信手が望遠鏡を使って両隣の信号を確認し、隣の腕木の信号が変わったら自分の基地の腕木も同じ信号に変えます。こうして情報をバケツリレー式に伝達していきました。


中野氏は情報通信、経済経営、歴史民俗などをテーマに執筆するノンフィクション作家。自身のウェブサイトでは出版した書籍やメディアに寄稿した記事などを紹介している。
http://www.pcatwork.com/

有料メールマガジン『中野明のストリートで哲学を語ってみた』も配信中。
https://www.mag2.com/m/0001687975.html

ネットワークの広さ、ボキャブラリー、通信スピードを兼ね備える

19世紀半ばまでにフランス政府が整備した腕木通信のネットワークは5,769キロメートルに及びます。イギリスでも腕木通信に倣って同種の通信技術を開発し、双方の通信網は北欧諸国、プロイセン、ロシア、スペイン、ポルトガル、アルジェリア、インドなど、世界中で1万4,000キロメートルを超える規模へと発展しました。

この規模の大きさこそが、腕木通信が近代通信の始まりであったと考えるゆえんです。遠いところまで情報を伝える手段としては、例えばギリシャ時代にも使われたのろしがありますけど、これは社会的に広く普及することはありませんでした。その点、腕木通信はヨーロッパ、ひいては世界にも拡大したため、広範なネットワークの構築に役立ちました。

また、伝達できる情報の内容も豊富で、8,000を超えるボキャブラリーが存在していました。さらに信号の伝達速度も速く、200キロ離れたパリ~リール間で信号を送るのに120秒しかかからなかったといいます。秒速1700メートルですから、音速の秒速330メートルをはるかに上回るスピードを誇ったわけです。

ネットワークの広さ、ボキャブラリー、通信スピードという3つを兼ね備えているということで、腕木通信は近代的通信の基準を十分にクリアしていると思います。

  • 腕木通信機の外観。基地の上の支柱に3本の腕木が取り付けられている。水平の腕木が調節器で長さ約4メートル、その両端が指示器で約2メートル。(写真提供:中野氏、他1点も)

  • 腕木通信機の構造。3本の腕木を動かして信号を送った。

世界初のノンハンドヘルドメディアとなった腕木通信

もう1つ、腕木通信の特徴として、ノンハンドヘルドメディアであったことが挙げられます。腕木の信号を望遠鏡で見るという形なので、メディア自体は手に持つことはできないということです。

腕木通信が登場する前までは、人々は手に持てるメディアを使ってやりとりしていました。代表的なものが手紙ですね。紙に何か書いて、それを騎馬郵便などを使って相手に渡していたわけです。腕木通信以前はそうしたハンドヘルドメディアが遠隔地とのコミュニケーション手段でした。

しかし、腕木通信以降の通信メディアは、どれも手に持てないものなんですよ。例えば腕木通信の次に出てくるのが、電気に信号を乗せて通信する電信です。情報を送受信する機器はもちろん手に取ることができますが、情報そのものは電気に変換されるので目に見えませんよね。

その次に登場する電話と、並行して出てくる無線電信も同じです。さらに、無線電信の発展したものがラジオになり、テレビになり、インターネットへと進化していった。やはりどれも情報そのものは手にすることができません。

腕木通信を境にして手に持てないメディアというものが利用されるようになったことを考えると、近代的通信の始まりは腕木通信と考えていいでしょう。腕木通信は非常に画期的な発明、まさにイノベーションであったと思います。

電信は外交や経済で他を制するための「見えない武器」

通信技術の発展は産業の発展とも大いに関係しています。

18~19世紀当時、各地に植民地をつくっていたイギリスでは、国を挙げて世界に電信の通信網を敷こうとしました。例えばインドである製品のニーズがあるという情報が入ったら、ただちにイギリス国内へ発信し、それを大量に作って輸出することで商機をつかみます。現地との通信手段として電信を有効利用したわけです。

腕木通信はフランスが先駆けでしたが、電信網の整備はイギリスが早く、イギリス資本の電信線は世界全体の70パーセントに上りました。電信の発展は帝国主義と密接に関係していたといえるし、電信の普及が産業の発展に大きく貢献したと見ることもできるでしょう。

例えば、1884年にフランスと中国の間で清仏戦争が起こったとき、フランス軍の敗北をフランスよりもイギリスが先に知ったという逸話があります。当時、ロンドンが金融の先端になったのも、情報が一番早く集まるようになっていたからという背景があるのです。

社会学者のダニエル・ヘッドリクは電信を「インヴィジブル・ウェポン」(見えない武器)と表現しました。情報技術が外交や経済で力を握るための武器になったということです。


中野氏の著書『IT全史――情報技術の250年を読む』(祥伝社)。腕木通信、電信、電話、ラジオ、テレビ、さらにインターネット、AIまで、250年に及ぶ情報技術の歴史をひもとく。

予期せぬ成功から生まれる破壊的イノベーション

情報技術が大きく変わるときは、社会的にもターニングポイントになるといえます。電信が世に出たばかりのときは、「電信なんて電線が切られたらどうするんだ」と批判的な人も少なからずいたそうです。しかし、やがて腕木通信は電信に駆逐されていきました。

電話が登場したときは、「話をするための機械なんて、そんなものは役に立たない」と、やはり反・電話派の人々が現れました。実際、最初の頃はたわいないおしゃべりに電話が使われて、それに電話会社の人が怒ったというエピソードもあります。大事な回線なので、無駄話に使ってくれるなということですね。

とはいえ、おしゃべりの用途に使われることで長電話が増え、結果として電話会社が増収となったのも事実です。利用者が増えて電話の裾野も広がり、結局は電信から電話に通信の主軸が移ったという、そういう流れがあります。

経営学者のピーター・ドラッカーは、イノベーションを実現するうえで予想もしていなかった成功に注目すべきだと説いていますが、まさに「予期せぬ成功」が電話会社に起きたということ。携帯電話やインターネットが登場した頃も同様に、一般人の雑談や私的な情報のやりとりに使うべきでないという主張が一部にありました。

しかし、いまやそういう雑多で個人的な情報がインターネット空間にあふれています。想定外の使われ方を受容し、拡大させたからこそ、いまの情報産業の隆盛があるともいえます。ITや通信の歴史は、予期せぬ成功から生まれる破壊的イノベーションの連続で成り立っているわけです。

情報技術の歴史には3つの波があり、
デジタル→アナログ→デジタルと変化

大きな流れで考えると、情報技術の歴史はこれまで3つの波があると思います。

1つは腕木通信と電信が普及した19世紀のデジタル通信です。電気を使わない腕木通信がデジタルであるというと怪訝に思う人がいるかもしれませんけど、腕木が示す情報は連続した情報でなく、独立した離散的な情報ですから、デジタルかアナログかといえばデジタルなんです。

19世紀の情報技術の代表が腕木通信と電信だとしたら、20世紀の代表は電話やラジオ、アナログテレビだと思いますが、これらは信号を電波に乗せてその波形で情報をやりとりするので、連続性がある。すなわちアナログ通信です。これが2つ目の波ですね。電話、ラジオ、テレビという20世紀の情報技術はアナログの情報技術で、日本が世界一になったのはそのアナログの情報技術の分野ということです。

ハイビジョン放送の変化に見るアナログ時代の終焉

これが20世紀の終わり頃になると、デジタル通信という3つ目の波が出てきます。

象徴的なのがハイビジョン放送です。日本のハイビジョン技術は1984年にNHKがアナログのMUSE方式を発表していますけど、90年代に入ってアメリカ発のデジタル方式が席捲していき、結局MUSE方式のアナログ・ハイビジョン放送は2007年に終了しました。情報技術がアナログからデジタルへと大きく軌道変更したわけで、アナログ時代の終焉を象徴する出来事だったと思います。

デジタル信号から始まってアナログで発展して、さらにいまデジタルの時代になっている。100年単位ぐらいでデジタル、アナログ、デジタルと情報技術は変化してきたことになります。

順番で行くと、次はアナログでしょうか。ひょっとすると、22世紀はもう少しAIが賢くなって、アナログ的な判断ができるようになるのかもしれません(笑)。

情報技術がどんどん人間に近づいてきている

通信技術の250年を俯瞰しつつ、この先を考えると、デバイスはおそらく人間の体の中に入っていくだろうという気がします。というのも、メディアがどんどん小型化していると同時に、人間に近づいているからです。

腕木通信は屋外の基地に信号機が搭載されているという大型の装置で、用途は外交、軍事、産業などに限られ、一般人からは遠い存在した。次に出てきた電信は、電信局にメッセージを持って行って電信に書き換えてもらって送るという方法で、腕木通信から考えると庶民にも身近な存在になっていきました。

次に出てきたのが電話です。登場したばかりの頃は電話のある家で借りたりしていたものの、次第に各世帯で導入が進みました。それでも最初は一家に一台、玄関先にあるような存在でしたが、子機が登場して自分の部屋でも電話がかけられるようになっていきます。

その電話が今度は携帯電話に変わったわけです。いまや一人一台ところか、一人で複数台持つ人もいます。しかも使用する場所を選ばず、外出先でも利用できるようになりました。そして最近は腕時計型やメガネ型などのウェアラブル端末が生まれています。こうした流れを見ると、情報技術がどんどん人間に近づいてきていることが分かります。

脳と電子機器をつなぐブレイン・マシン・インタフェース

現状の情報技術は体に密着する状況になっているけれども、この流れの延長線上には、やっぱり体の中に入るだろうなという気がしますね。

実際、情報端末を脳に入れる実験も行われています。例えばサルの脳に電極を入れて、サルが意図したことを情報として通信で送り、別の場所にあるロボットを動かすという実験も既に行われています。こうした脳と電子機器をつなぐ技術は、ブレイン・マシン・インタフェース(BMI)と呼ばれ、人間への適用も技術的には可能という状況です。

特に医療面での開発は進むのではないでしょうか。脳からの電気刺激で義手を動かす筋電義手技術は既にありますしね。例えば持病のある人の体内にセンサーを埋め込んで、異常を検知したら医師に連絡が行くとか、そういうシステムも今後はあり得そうですよね。テクノロジーと人間の融合は今後さらに進んでいくと思います。

WEB限定コンテンツ
(2019.7.22 千代田区のレンタルスペース「余白」にて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Rikiya Nakamura

イーロン・マスク氏が立ち上げた会社「Neuralink」では、人間の脳とコンピュータを直接つなげるシステムの開発を目指している。2020年に臨床試験を始める計画という。

中野明(なかの・あきら)

1962年、滋賀県生まれ。立命館大学文学部哲学科卒。同志社大学理工学部情報システムデザイン学科非常勤講師。1996年に『日経MAC』誌上に短期連載した記事を『マック企画大全』(日経BP社)として出版した後、歴史・経済経営・情報の三分野で幅広く執筆する。主な著作に『IT全史──情報技術の250年を読む』(祥伝社)、『世界漫遊家が歩いた明治ニッポン』(ちくま文庫)、『超図解「21世紀の哲学」がわかる本』(学研プラス)、『腕木通信──ナポレオンが見たインターネットの夜明け』(朝日選書)、『サムライ、ITに遭う──幕末通信事始』(NTT出版)、『ドラッカー流 最強の勉強法』『東京大学第二工学部』『戦後日本の首相』(以上祥伝社新書)など。‎

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