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「いま、本当にこの情報がほしいのか?」を自問しよう

ウェルビーイングと技術を融合した「10分遺言」

[ドミニク・チェン]早稲田大学 文学学術院/文化構想学部 准教授、起業家

ウェルビーイングを実現するために、テクノロジーとどう向き合っていけばいいか。これは昼夜問わずデジタル機器と接する我々にとって切実な課題です。

批評的な視点で情報と接する姿勢が問われている

情報を受け取る立場としては、意識的にテクノロジーと付き合っていく必要があるでしょう。テクノロジーが人間のアテンションを捕捉しようとしてきているという、その原理に気づくことがまずは重要です。

エンジニアと違って、一般の人には裏側の仕組みを類推することは難しいかもしれません。しかし、だからといってテクノロジーにどっぷりと身を浸すのではなく、批評的な視点を持って情報と接する姿勢が問われていると思います。

自分自身を振り返っても、アルゴリズムがこちらに手を伸ばしてくる感覚を持ったときにはその動きに抗うサービスを考えたりします。それと、「この情報を望む感覚は本当に自分のものなのか」と、スマホを操作する手をちょっと止めて自己観察したりもします。技術と自分を1つのシステムとしてとらえて、それを第三者の目で見たときに、別のやり方もあるんじゃないかということを常に頭の片隅に置いておけば、情報技術に一方的に取り込まれる事態は減っていくでしょう。

とはいえ、考え方や習慣を変えるのはなかなか難しいですよね。ですから、個人レベルでそういうマインドセットを持つことを対症療法としつつ、根本的な解決を図るためには産業自体が変わっていかなければならないと思います。

情報技術産業のアテンション・エコノミーモデルが極端に肥大化している

個人のアテンションをいかに奪うかという、いまの情報技術産業のアテンション・エコノミーモデルが極端に肥大化していることが問題の根本にあるような気がします。

広告モデル型の無料で使えるウェブサービスを考えると分かりやすいですよね。フェイスブック、ツイッター、インスタグラムもそうですし、その他にも無数にあります。

ユーザーのアテンションを他の競合から奪い、さらに自社サービスの中で滞在時間をできるだけ延ばそうとする熾烈な競争の結果、ユーザーのウェルビーイングが軽んじられてしまう。このあたりが今の情報技術産業の未熟さの根本部分だと思いますし、ウェルビーイングの対極であるイルビーイング(ill-being/優れない状態)を助長しているように思えてなりません。

例えばアプリである施策を打って、滞在時間が1日平均10分から20分に倍増したとしましょう。それで広告収益が上がったならば経済的には成功です。しかし、ユーザーにとってその20分は本当にいい時間なのか。確かにウェルな時間が増えているかもしれませんが、同時にもしかしたら、その10分が増えることで睡眠不足になっているかもしれないし、心が無駄にざわつくような情報を取り込んでいるかもしれない。情報産業がユーザーにとっての心理的充足という観点を考えずにシステムを作ってきた事実は否めないと思います。

事業を誇りに思えるような情報産業のあり方とは

いま取りこぼされている負の側面を扱えるようにならないと、この問題は100年経とうが200年経とうが、ずっと続いていくでしょう。ですから、際限なく人間のアテンションを奪う経済原理の見直しが、まずは必要だと思います。

2018年には、EUで一般データ保護規則(GDPR)が施行され、ユーザーのプライバシーを守らない企業には重い罰金が科せられるようになりました。この規則がまた別の議論を生んでいるとはいえ、行政や立法が企業を監督したり超国家的なルールを作ったりすることで、人間の過度のデジタル依存状態はある程度是正が可能だと思います。

ただし、規制するだけではその網をかいくぐる企業も出てくるでしょう。そう考えると、究極的には現場でモノを作っている人たちがユーザーのウェルビーイングを考慮できるようになるのが理想です。

そのとき必要になるのは、企業の収益と両立できるような新しいロジックです。情報の技術者たちにしても、お金儲けができればユーザーの心を踏みにじっていいなんて思っている人は多数派ではないはず。だから自分たちがやっていることに誇りに思えるような情報産業のあり方も、模索していく必要があるといえます。

企業の意識が変われば社会の意識も変わっていく

職場や飲み会などで気軽にウェルビーイングの話ができるような土壌が、IT企業の内部で培われるといいですよね。自分たちの事業のゆがみや、一人のユーザーとしての視点から感じる違和感などが現場レベルで共有できれば、経営会議も変わってくるでしょうし、企業の意識が変われば社会の意識も変わっていくのではないでしょうか。

例えば、最近の女性差別問題を巡る状況は、まさに社会の意識の変容を示していると思います。ツイッターで「#MeToo運動」が起こって、女性に対するセクシュアルハラスメントの事例が明るみになり、東京医科大学で女性の合格者を意図的に少なくしたケースも表面化しました。さらには東京大学の入学式で、学内の性差別を指摘した上野千鶴子さんの祝辞も話題になりましたよね。

30年前なら想像もつかなかったような意識の変容がもたらされているわけです。今までないがしろにされてきた、たくさんの弱者の視点というものも、ちゃんとケアしないとおかしいんじゃないかというマインドが、少しずつ社会の上澄みに浮上してきているということだと思います。

企業内でも、MeToo運動の前と後では、現場で出てくるアイデアやマーケティング戦略は違ってきているはず。それと同じことがウェルビーイングの分野でも起きて、社会的な議論になっていくことが大切なんでしょうね。

早稲田大学 文学学術院は、文化構想学部、文学部、文学研究科、総合人文科学研究センターで構成。文化構想学部は、人文学の知見を現代的な視点から見直し、新たな学問領域や「知」の創出に取り組んでいる。
https://www.waseda.jp/flas/

ペインをさらけ出すことが批評性が生まれる起点になる

思えば、僕が以前起業した会社では、メンバーそれぞれが社会に対して抱いている痛み、もやもやしたもの、違和感といった「ペイン」を、日頃から自由に話し合っていました。

社会の制度や風潮に対する不満だけでなく、子どもを抱っこひもで抱えて電車に乗っても誰も席を譲ってくれないというような日常のケースも含めて、ありとあらゆることをざっくばらんに話すんです。「ちょっと休憩がてら雑談していい? 実はこんなことがあったんだけど――」という感じ。それで企画を作るということではなくて、ただ話すだけ。

そういうことを日常的にやっていると、メンバー同士の目線がだんだん合ってきて、自分が直接抱えていない不満も、自分にそれを語ってくれた人の視点を通して気づけるようになっていくんですね。自分では気づかなかったところに光が当たるわけで、要はペインをさらけ出すことが批評性が生まれる起点になるんです。

ずっと続けていると、時々メンバー間でペインが共振し始めて、「あるある!」みたいな感じで盛り上がる。そうなったときに初めてアイデアを具体化してみようということになるんです。「そのペインはこういうシステムなら解消できるんじゃない?」みたいな話をざっとして、そこからごく簡単なプロトタイプ、いわゆるMVP* (Minimum Viable Product)を作っていく。

出来上がったプロトタイプをスマホにインストールして試しに使ってみて、数日後にメンバー間で検証して、さらに開発を進めるかどうかを決めていくという具合です。自分たちの感覚を起点にプロダクトを作り、実際に自分たちで使ってブラッシュアップする。そうやって多くのウェブサービスやソフトウエアを世に送り出していきました。

* MVP
実用最小限の製品。

アプリを1年使って初めて浮かび上がる、
そんな価値をも提供できるか

自分たちのペインを起点に考えると、そのペインが解消される方策だったり、あるいは別の形でウェルビーイングがふっとやってきたりするんです。多くの企業では最初にビジネスモデルを考えるけれども、それとは違うアプローチを採っていたわけですね。

収益的にいまいちというケースもありましたけど、ユーザーの反応が良ければ僕らは成功ととらえました。利益は確かに重要だけれども、1つの事業でうまくいかなければ別の方法でお金を稼げばいいわけですから。

ビジネスモデルは理詰めで編み出すことができるんです。市場や投資の動向を調べて、とがったアイデアにリソースを集中させれば事業計画書の骨組みは誰でも作れる。他方で、そのプロダクトがユーザーの人生にいい影響を及ぼしたかということは、また別の話です。

だから、ウェルビーイングをもたらすようなシステムが仮に事業としてうまくいかなかったとしても、別のところにそのエッセンスを注入して繰り返し取り組んでいけばいい。長期的な視座は、ウェルビーイングをテクノロジーにどう落とし込むかというときに重要な要素になってきます。

逆に言うと、それは今までの情報技術のビジネスでは、後回しにされていた部分なんですね。例えばアプリだったら、ストアサイトでぱっと見て5秒以内にダウンロードしてもらえるか、いかに瞬間的に中毒状態になれるかというチューニングをやってきた。そういう文脈では、持続的なウェルビーイングは後回しにされてしまいます。

刹那的なサイクルを念頭に置いた技術設計ではなくて、1年使い続けて初めて浮かび上がってくるような価値をも提供できるか。そういう議論をモノづくりの現場で行ってほしいし、根っこの部分でそういう議論を望む技術者は少なくないと思います。

ウェルビーイングの構成要素を主体的に取り込む

その議論を行うときに役立つのが、ウェルビーイングの定量的な指標です。まだ十分にデータがあるわけではないけれども、ウェルビーイング状態を測定する方法を模索する動きはあります。例えば生体センサーで活動量を測ることで心の状態を把握するといった手法ですね。

ただ、定量データだけで議論していると、いま起こっているアテンション・エコノミーのように、ウェルビーイングの数値だけを盲目的に追求する経済モデルに堕していきかねません。従って、定性的にウェルビーイングをとらえる方法も同時に考えなければいけないと思います。

その1つが、自分自身のウェルビーイングを主体性をもって表現していくこと。ワークショップなどで自らのウェルビーイングを定義するのも有効ですし、あるいは無意識の体の動きなどをテクノロジー経由で把握して、それによってウェルビーイングに対する意識的な行動を設計するのもいいでしょう。

誰かの定量データを元にウェルな状態をお膳立てしてもらうのではなく、その人がより主体的にウェルビーイングの構成要素を生活に取り込めるようになることが重要です。研究者として、またエンジニアの一人として、そのための契機を提案していきたいと考えています。

遺言をしたためる過程をトレースする「10分遺言」

その1つが、僕が「あいちトリエンナーレ2019」に出品している「10分遺言」というアート作品といえます。

タイピングの過程を記録して後から再生できる「TypeTrace」(タイプトレース)というソフトを使って、不特定多数の人に10分で遺言を書いてもらい、その作成過程を展示しています。

タイピングの途中でちょっと詰まって間が空いたり、書いたものを消して書き直したりといった過程を見ていると、まるで自分に向けてそのメッセージが書かれているかのように感じます。不思議な作用があるんですね。

このコンセプトは僕にとってはウェルビーイングとテクノロジーの融合なんです。これまで1500件もの投稿がありましたが、それらを再生していると、親から子へ、逆に子から親へ、もしくは恋人同士、友人同士、飼い主とペットなど、さまざまな関係性の中で、その人が大事にしている価値観が見えてくるんです。

テキストの生成過程に、ウェルビーイングのヒントを見出す

SNSの炎上騒ぎにしても、書き終わった文書がさまざまに解釈された末のコミュニケーションですよね。だけど、それを書くまでに逡巡した時間がそのメッセージに織り込まれるとしたら、今僕たちがテキストデータと向き合うときと全然違う方法が浮かび上がってくるんじゃないかとも思うんです。

対面で会話していると、お互いの呼吸や身振り、言葉遣いなどが自然に同調してくるんですね。タイプトレースを使ったメッセンジャーを使った実験でも同じような効果があって、チャットを重ねるにつれて、お互いのタイピングパターンが似通ってきたり、ユーザーの感情がより喚起されるといった結果が見えてきています。

テキストの生成過程から、現代の人間のウェルビーイングにつながるヒントが浮き上がってくるのではないか。研究者としてのそんな願いをこの作品で実現してみたいし、1つの研究テーマとして今後も掘り下げていきたいと考えています。

事業と研究の面白さを合体することで新しい価値が生まれる

こういう発想をするのは、僕が事業主体側の経験を持っていて、なおかつ研究者としての目線も持っているからなのかもしれません。もっと突き詰めれば、子どもの頃から日本とフランスやその他の文化の板挟みにあって、それぞれの誤ったバイアスを解いて実像を通訳しないといけなかったことが源流にある気がします。

研究者は企業家に対して金もうけ主義という印象を抱いたり、一方で企業家は研究者なんてのんきなことをしているに過ぎないと思ったりもしているけれど、僕は事業も研究もそれぞれに面白さがあって、その面白さを合体していくことで新しい価値が生まれると思っています。

研究的な根気強さも必要だし、ベンチャー的なスピード感も両方大事。双方のリアリティをうまく橋渡ししていけば、新たなウェルビーイングの実現に向けた視点が社会に実装できるのではないかと考えています。

WEB限定コンテンツ
(2019.6.20 新宿区の早稲田大学戸山キャンパスにて取材)

text:Yoshie Kaneko
photo:Kazuhiro Shiraishi

「10分遺言」のウェブサイト。

https://typetrace.jp/

「あいちトリエンナーレ2019」(2019年8月1日~10月14日開催)にて、「dividual inc.」名義で出展。場所は愛知県美術館。

ドミニク・チェン(Dominique Chen)

1981年生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)Design/MediaArts学科卒業、東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。NTT InterCommunication Center(ICC)研究員/キュレーターを経て、NPOコモンスフィア(クリエイティブ・コモンズ・ジャパン)理事。株式会社ディヴィデュアル共同創業者・取締役。2008年IPA未踏IT人材育成プログラム・スーパークリエイター認定。ウェルビーイングとテクノロジーの関係、人工生命技術と創造性の関係性、インタフェース・デザインの研究活動に従事。博士(学際情報学)。‎

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