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ファブラボから新しいモノづくりが始まった

データをモノに転換するデジタル・ファブリケーション

[田中浩也]慶應義塾大学 環境情報学部 准教授

専門家の開発したテクノロジーが一般に開放されて社会に変化をもたらす「技術と社会の出会い」が、およそ15年ごとにある気がします。

1980年ごろにはパーソナル・コンピュータ、1995年ごろにはインターネットと、それぞれ限られた専門家のものでしかなかった技術が家庭へ普及していきました。

そして2010年ごろから始まったのが「パーソナル・ファブリケーション=工業の個人化」です。3Dプリンターや3Dスキャナ、レーザーカッターなど、それまで専門家のものだった工作機械が個人でも使える環境が整ってきました。

MIT発、工作機械を揃えたオープンな市民工房

実際3Dプリンタなどが、個人でも使える手ごろなものに低価格化・小型化・コンパクト化したわけですが、それだけでなく、今回はさらにここに「シェアリング・エコノミー(共有経済)」の流れが重なって社会のうねりを生み出しています。たとえば3Dプリンタも、1家に1台買って所有するほどではないけれども、地域で1台共有してみんなで使ったほうが賢いのではないか? というような価値観が広がりました。技術の進歩と、社会における「共有」の流れ。その2つが合流した接点に生まれたのがファブラボ(FabLab)です。デジタル工作機械をシェアして、実際に顔を合わせてコミュニケーションを取りながら制作の知識やスキルの交換、共有を行い、地域の課題を解決していくような、モノづくりを行う実験的な市民工房です。

始まりは1998年、マサチューセッツ工科大学(MIT)のニール・ガーシェンフェルド教授が、研究の一環としてボストンの貧困層が住む地域やインドの小さな村に工作機械を揃えたオープンな市民工房を作ったことにあります。工房には地域の人々が訪れ、自分たちの手で自分たちがほしいものを自主的に作りだす活動が始まりました。その後、ガーナやノルウェー、南アフリカにも展開され、さらに草の根的に世界へと波及していったんです。

ファブラボとしての立ち上げは2000年、活動が本格化したのは彼の「FAB-パーソナルコンピュータからパーソナルファブリケーションへ」が出版された2005年ごろで、今では世界中の500カ所以上の拠点にまで増えています。日本では2010年にファブラボ・ジャパン・ネットワークが立ち上がりました。鎌倉とつくばの拠点を皮切りに、現在13カ所に増えています。単独の工房ではなく、国際的なネットワークになっていることがファブラボの特徴といえます。いつもビデオ会議をしたり、データや人の行き来や、プロジェクトの紹介、国をまたいだ共同ワークショップなどが行われているのです。サッカーのリーグ制みたいなものですね。

最新のハイテクノロジーで近代化を進める新興国

僕が本ではなく最初に直にファブラボを体験したのは2009年、インドのファブラボでした。

場所はムンバイに近いプネーという学園都市からさらに車で砂利道を4時間、パバルという小さな小さな村です。水道水は濁っているし、道路も整備されていない、電気も1時間に1回ぐらい落ちてしまうような、日本でいうと昭和10年代~20年代ぐらいの生活水準の辺境の村です。

でも、そのファブラボにはレーザーカッターや3Dプリンター、3Dスキャナーといった最先端のテクノロジーが揃っていて、現地の人々がそれらを使いこなして生活に必要なものを自給自足で作っていました。そのことに僕は大きな衝撃を受けました。

モノを買わずに自分たちで作っていることに驚いただけでなく、新興国が先進国の後追いをするのではなく、最新のハイテクノロジーを使って、これまで日本や西欧がたどってきたのとは全く違う、独自の近代化の道を歩んでいることも驚異的でした。そしてみんな楽しそうなのです。

こういった現場に出くわすと、例えば日本人が昭和初期に3Dプリンターを手にしていたら、今とは違う社会が形成されていたんじゃないかとか、そういった「What If (もしもこうだったら)」という想像力がすごく刺激されるんです。でもこれは世界では「現実」としても起こっていることでもあります。たとえばアフリカでは、アナログ電話を飛ばして、電話といえば「携帯電話」というところから通信技術が始まっているんです。技術と社会の接触の仕方というのは、それぞれに固有のもので、ひとつの正解なんてないのだと気づかされます。そして私たちの日本の常識なんてまぁちっぽけなものだと。

ファブラボに話を戻しますが、うまくいっているファブラボには、スターウォーズの「ジェダイマスター(達人)」のように、「モノづくりマスター(達人)」が必ずいます。技術の伝播には噴水効果というものがあって、その技術を習得したり、利便性を熟知した人が職場や地域で「これいいよ」「絶対あった方がいいよ」とお手本を示しながら周りの人に影響を与えていくわけです。それによって、新しいカルチャーが下から上へ、内から外へ、だんだん広がっていく。

日本だと教育の現場ではこういうことが見られますよね。インターネットの黎明期は特に噴水効果が見られたそうです。私の教える慶應大学の湘南藤沢キャンパスは、日本で最初に学内のどこでもインターネットが使えるようにしたキャンパスでしたが、そこを巣立った学生がネットがないと困る体質になっていて、就職先でも充実したネット環境を広げていったそうです。似たようなことが、デジタルファブリケーションでもこれから起こっていくでしょう。そういうわけで、若ければ若いほど新しいものに触れられるチャンスがあるというのは大切だと思います。それが社会を下から押し上げて変えていく力になるから。

テクノロジーを個人が自由に使えるようにする

インドで、「技術」と「社会」のイノベーティブな接点をつくることを学んだあと、日本でどのようにファブラボが展開可能かを考え始めたのですが、その前に、ファブラボやパーソナル・ファブリケーションについて、技術論だけでなく、それが生まれたアメリカ東海岸の思想や文化まで含めて完全に学んでおくべきだと感じました。その経験を経ないままに日本でファブラボを立ち上げても、なんだか本質を外してしまうのではないかと思いました。

そこで2010年にマサチューセッツ工科大学に1年間留学し、35歳にしてMITの大学院生と机を並べ、ガーシェンフェルド教授の授業を受けました。パーソナル・ファブリケーションの入門パッケージのような「(ほぼ)何でもつくる方法」という演習です。学生は研究室のデジタル工作機器を自由に使って、デザイン、プログラミング、電子工作、無線通信、機械設計まで、アナログからデジタルまでのひととおりを学びます。

ここで良かったのは、技術はもちろんですが、やはり背景にある思想や哲学まで深く理解できたことです。MITの伝統として、軍事技術だったコンピューターを人々のための技術に変えてきたという経緯もありますし、工作機械についても軍事産業や重厚長大型の産業だけに囲い込まず、1人ひとりの個々人をエンパワーメントするための技術として使うんだという強い思想がある。テクノロジーを個人が自由に、自分たちの目的で使えるような技術にしていくという、いわば「先端技術の民主化」の思想上にパーソナル・ファブリケーションやファブラボは位置づけられているわけです。

また、IT社会は、基本的にはモノをビットへ、物質を情報へと変換していくような流れにありました。印刷の書籍は電子書籍になるし、CDはMP3データでダウンロードするとか、どんどんモノがなくなっていく状況ですよね。MIT留学前は、その当然の帰結として未来はどんどんバーチャルになっていくものだと思っていたんです。その希薄になっていく現実に対して、それを推し進めてきたデジタル人間の工学の研究者である僕自身も、自己矛盾を覚えて、割と苦しかった時期もありました。技術が本当に人を幸せにするのか見えなくなっていたのです。

ところがテクノロジーの最先端を行くMITでは振り子が逆に振れていて、今度は、データをいかにモノに換えていくか、その未来像が研究されていたのです。例えば、設計データを送って地球の裏側でコップを作るといった物質の遠隔転送を考えている。当時の日本ではほとんど誰もそういうことを考えていなかったので、ショックを受けました。これが2010年のMITの空気でした。何かパラダイムが変わる瞬間でした。この、振り子が逆に触れる熱い瞬間に立ち会えたのは幸運だったと思います。

モノの手触りが希薄化していく情報化社会の“貧しさ”

そうした新しい動きの萌芽を浴びるように日々経験して日本に帰ってきたのですが、2011年のオバマ大統領の2期目の就任演説で3Dプリンターの重要性が説かれました。20世紀は1つの町に1つの図書館を作ったが、アメリカではこれから1つの町に1つのファブラボを作るんだということを議員も議論していました。

このオバマ大統領のスピーチはファブラボの活動を後押しするきっかけになりましたし、新しい流れが来たという思いでした。先ほども言いましたが、デジタル化が進めば進むほど身体的実感が消えていく危機感を感じていましたし、モノの手触りとか匂いの感覚とかが希薄化していく感覚が当時の僕にはありました。

しかし、「デジタル」と「モノ」とが、新しい回路で、またつながりはじめた。それも、デジタルを拒絶してモノに回帰するのではなく、デジタルが進化することで、モノにまでつながっていくポジティブな未来が見えた。ここには必ず新しい創造性が潜んでいると確信しました。そのころ、日本でもファブラボジャパンが立ち上がり、活動が本格的に始まったのです。

慶應義塾大学SFC田中浩也研究室は、ファブラボを深化・進化させる研究を行うための大学研究室。国内外のファブラボの連携の推進、ファブラボを効果的に運営するためのOS(FABOS)の開発、ファブラボの理想的な空間レイアウトの研究、都市全体にまで創造性を波及させるファブシティの提案を行っている。
http://fab.sfc.keio.ac.jp/

FabLab Japan Networkは、国内外のファブラボとモノづくり活動をつなぐネットワーク。国内のファブラボや関連施設の連携、世界のファブラボとの交流、モノづくり知識の共有と情報発信を軸とした活動を行っている。田中浩也氏が発起人となって2010年に設立。
http://fablabjapan.org/

田中氏の著書の1つ『FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」』(オライリー・ジャパン/オーム社)。ファブラボの歴史やパーソナル・ファブリケーションの実態が田中氏の個人史とともにつづられ、分かりやすくかつ楽しく読める。

田中氏が乗っているのは、廃材を元にした樹脂で作ったゴミ箱。慶應大学と竹中工務店が共同開発している3Dプリンタ「アーキファブ(ArchiFAB)」で作成した。立体物を手軽に製造できる、廃材を再利用できる、軽くて頑丈なものができるなど、利点は多い。

日本古来のモノづくりの姿勢は
デジタル=離散に通じる

2011年、日本で最初に設立されたファブラボは前述の通り鎌倉とつくばで、これは世界でも例のない「双子」のスタートでした。つくばはすすたわりさんという方が、鎌倉は私が、それぞれ開設を主導しました。

私は留学中、日本での住処を引き払っていたので、言ってみればどの場所からでも再スタートできたんです。全くのゼロから場所を選ぶことができた。そこでかなり考えて、あえて歴史のある鎌倉を選んだのは、「独自のモノづくり」がもともとある場所のほうが、デジタルを推進するファブラボとうまく化学反応を起こすことができるんじゃないか、アナログとデジタルが掛け合わさって結果的に面白くなるんじゃないかという直観があったからです。

また、地域の人たちで必要なものを自作するなど、ローカルなリソースを大切にしたモノづくりの伝統が日本にはありました。伝統工芸はまさにそうですよね。鎌倉は職人の雰囲気がまだ残っていて、日本古来のモノづくりの粋でもある大仏や寺社を抱えます。そういう場所でこそ、先端テクノロジーの実験を始めることが面白いんじゃないかと思ったんです。ハイテクとローテクがうまく補完しあう関係を作れれば、それが価値になるのではないかと。そしてMITのファブラボとはまた違う新しい流れを、日本から作れるのではないかという狙いもありました。

もうひとつ、世界30カ所くらいのファブラボを見学したところ、特にヨーロッパで古い建物をリノベーションして再利用する活動とファブラボがうまくコラボレートしているケースも多くありました。日本でもこれから地方で空き家が増えてくることが予想されます。そういう古いストックの再活用の良いケースにしたかったのです。そこで鎌倉の拠点も新築ではなく、古い建物を再利用することにしました。

そこで見つけたのが築130年の蔵です。秋田県湯沢市で酒蔵として使われていたものを、分解して鎌倉に運んでもう一度組み立てたと聞いて興奮しました。それが可能なのは、釘を使わずに柱や梁を組み上げて家を造る伝統工法だからこそです。

「分解」「輸送」「再組み立て」で建物を造るというのは遠隔転送と似ていて、実は極めてデジタル的な発想なのです。デジタルという言葉は日本語で「離散」を意味しますが、日本古来のモノづくりの姿勢がデジタルに通じるというのは面白いですよね。工業型文化の「スクラップ&ビルド」でなく、家政型文化の「ストック&リノベーション」にもつながる話です。そして、1つの部品を長く使おうとするモノとの付き合い方は、ファブラボの精神そのものでもあるのです。「破壊と再生」を繰り返してきたのが大量生産のやりかただとすれば、デジタルファブリケーションが可能とするのは「分解と再編集」に基づく個別の生産です。そこでこの「結の蔵」でファブラボを始めることにしたわけです。

モノづくりを介したコミュニティもファブラボの魅力

ファブラボ鎌倉の開設前は、周囲から「うまくいかないよ」「いまさら自分の手でモノを作りたい人なんかいない」と、さんざんネガティブなことを言われました。まぁ、ありがちですよね。でも、極論を言えば、僕自身がその工房を使ってモノをつくるつもりでしたので、無理に「集客」のようなことをする意図は持っていなかったんです。別にひとりでも、モノづくりをするつもりでした。でもふたを開けてみたら山ほどいましたね。特に何をしたわけではないけど、オープン早々、子どもからお年寄りまで地元の方が大勢来て、おもちゃ、表札、名刺、服、ドアノブなど、ありとあらゆるものを作ったり修理したりしに来られました。そういう方は「これまでも、ものはつくりたかったけど、場所がなかった」というんです。

リピーターも多いです。図書館に通う代わりに毎週ファブラボに通ってくるようになったおじいちゃんもいれば、登校拒否なんだけどファブラボには毎週顔を出す子もいました。

今では、蔵を掃除した人だけファブラボが使えるというルールで運営されている日があって、みんなぞうきんやほうきを持って集まってくるんですね。古い建物を大切にしてコミュニティを維持しようというマナーがうまく機能しているんです。モノづくりの楽しさだけでなく、モノづくりを介したコミュニティがある。それもファブラボ鎌倉の魅力になっていると思います。

ビジネスとの関わりを求めてくる人もいて、実際に新製品開発に貢献した事例もあります。例えばIRKit* は複数の家電を操作できるリモコンとしてスマートフォンを使えるようにするデバイスです。これがあればリモコンを使い分ける不便さが解消できるということで、製品として成功を収めています。作ったのは大塚さんというフリーランスのエンジニアの方ですが、企業に属さなくても製品作りが可能になったことの1つの証と言えるんじゃないでしょうか。

また、ファブラボ鎌倉は企業の新入社員研修や学校の授業も数多く請け負っています。個人から法人まで、そして家庭用品の身近な修理の場としても、新しいビジネスの研究開発の場としても、地域や社会に根付いた活動を展開しています。根付くまでもちろん時間がかかりましたが、今では世界に誇れる、特徴ある日本発のラボの1つに育ったのだといえます。

家内制機械工業への回帰

ファブラボは製造業と親和性が高そうだと言われますけど、それは微妙にイエスでもありノーでもあります。

確かにファブラボは「作る場所」なのですが、「使われる場所」のなるべく近くで「つくろう」という提案なのです。生産と使用(需要)をなるべく近づけたいのです。なので、なるべく使用(需要)サイドに寄り添っていたいのです。

歴史をたどると、家内制手工業の時代には家でモノを作って、使っていました。「つくる」と「つかう」は分かれていなかったのです。それが産業革命以降、「つくる」場所と「つかう」場所が分離し、工場で一極集中して大量生産するようになったわけです。その結果、「作る」場所はどんどん外へ、外へとアウトソーシングされていく。工場も国内から海外へ移転していく。そうすると、「つくる」ということが身近な場所から消えていくわけですが、さらに深刻なのは、そもそも「つくる」と「つかう」が完全に離れてしまうと、良いアイデアや発想さえも生まれなくなってしまうことです。ファブラボはその流れを逆にしたいのです。先ほどのIRKitのように、「使う」ことからイメージしたほうが、製品のアイデアも出てきやすいんじゃないかと思うんです。

そういうわけで、やはりファブラボは生産施設というより、発想と試作のための施設です。子どもも大人もお年寄りも、個々人が自分の好きなもの、必要とするものを作る。工作機械の使い方、モノづくりのバリエーションをみんなであれこれ試しながら、こんな使い方もあったのか、こんなアイデアもあったのかという驚きと興奮に満ちた発想のための場所、それがファブラボなんです。

さらに、街で使うものや地域のみんなで使う公共的なものまで作り始めたりする。これは「ホームセンター」なのではなくて「タウンセンター」なのかもしれません。それが発展してビジネスにも教育にもなっていく。なかなか従来の縦割りや、概念の区分にはまりきらないので、「わからない」と言われたり、担当部署がないとか言われたりするのですが、まさにそれこそがファブラボが修復したいと思っている「分断の病」なのです。なので、ファブラボはすごく「総合的」なのだと思いますが、この「総合性」こそがいま必要とされていると思います。

WEB限定コンテンツ
(2015.6.12 横浜市の慶應義塾大学センター・オブ・イノベーションプログラム研究拠点にて取材)

田中氏が乗っているのは、廃材を元にした樹脂で作ったゴミ箱。慶應大学と竹中工務店が共同開発している3Dプリンタ「アーキファブ(ArchiFAB)」で作成した。立体物を手軽に製造できる、廃材を再利用できる、軽くて頑丈なものができるなど、利点は多い。

* WiFi機能の付いたオープンソースな赤外線リモコンデバイス。WiFiを通して、家庭のエアコンやテレビ、ライトなど、赤外線で操作できる家電をスマートフォンなどから操作できるようにする。

田中浩也(たなか・ひろや)

1975年、北海道生まれ。京都大学総合人間学部、同大学院人間環境学研究科、東京大学工学系研究科社会基盤学専攻修了。博士(工学)。マサチューセッツ工科大学建築学科客員研究員などを経て、慶應義塾大学環境情報学部准教授。ネットワークと3Dを組み合わせた創造性支援の研究を続けながら、日本における「ファブラボ」「ファブシティ」の推進者としても知られる。2014年、総務省「『ファブ社会』の展望に関する検討会」座長。著書に『FabLife――デジタルファブリケーションから生まれる「つくりかたの未来」』(オライリー・ジャパン/オーム社)、『SFを実現する 3Dプリンタの想像力』(講談社現代新書)などがある。

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