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食を介して人と人をゆるやかにつなぐ「縁食」

「食の貧困」と「関係の貧困」への処方箋

[藤原辰史]京都大学人文科学研究所 准教授

前編で食のあり方をめぐる問題として「貧困」を挙げましたが、もう1つ、「食品ロス」の問題も見逃せません。両者は違う様相を示しているように見えて、実はつながっていると私は思っています。

世界の飢餓を救う量以上の日本の食品ロス

食品ロスは、高度経済成長期からずっと問題になっていたことです。日本は生ごみをものすごく捨てる国で、世界中のごみ焼却炉の半数が日本に存在するほどです。

生ごみは水分を含んでいる残滓で、それは家庭から出てくるものももちろんあるけれども、それ以上にスーパーのお総菜の売れ残り、ホテルやレストランから出る食べ残しが多い。まだ食べられるのに廃棄されるこれらが、いわゆる食品ロスです。

日本で生み出される食品ロスは年間約612万トンで、これはサハラ砂漠以南で飢えている人たちを救える食糧(年間約390万トン)を軽く超えます。それほどの量を日本列島一国で捨て続けているということです。

容器包装プラスチックは膨大なエネルギーロスに

大量の食糧を捨てる一方で、日本は食品輸入国なんですね。カロリーベースで、自給率は39~38パーセントでしかない。大豆は90パーセントが輸入ですし、小麦や大麦、それに酪農飼料も輸入に依存しています。

日本ではさらにそれを流通・販売するときにプラスチックでパッケージ化します。スーパーでお肉はプラスチックのトレイ、ビニール、シールでラッピングされて陳列され、お金を払ったらさらにそれをビニール袋に入れたりする。こういう容器包装プラスチックにも石油が使われています。

でもその結果、賞味期限を迎えたものはそのまま捨てられるわけですね。そして、捨てられたものは石油で燃やして処分する。実に膨大なエネルギーロスと食品ロスを、日本はもたらしているのです。

それからプラスチックごみの問題もあります。コロナでテイクアウトが広がった影響で、各家庭でプラスチックごみがさらに増えました。海洋汚染も深刻で、汚染された魚を通じて私たちの胃袋や腸もプラスチックで汚染されています。

こうした状況を踏まえると、食べ物をめぐるエネルギーロスや、それに付随する石炭やプラスチックのロス、つまり燃料と原料の膨大なロスの上に私たちの食が成り立っている。これは倫理的におかしい気がしてなりません。

農業技術が農民のお金と生命を搾り取っていく

では、食品のロスと貧困の問題はどこでつながっているのか。順を追って説明しますね。

まず、食品をパッケージ化する、あるいは加工するには、結構な初期投資が必要です。機械に加えて膨大な原料・食材も必要ですし、広告費* も投じなければなりません。つまり、経済的に豊かな国でなければ食品を作ることは難しいのです。

加工するだけでなく、そもそも食糧を作るには資本と知識・技術が必要です。私は農業技術史も研究しているのですが、種子開発、農薬、化学肥料、トラクターは現代の農業技術の4点セットなんです。その技術体系をマスターしているか、もしくは用意できる国はアメリカや日本、ヨーロッパ諸国などに限られます。

それ以外の国は技術を自前で開発するか、海外から高いお金で買い続けるしかないのですが、現実的には前者は無理なので後者を選ばざるを得ない。しかし、現代の農業では遺伝子組み換えを含めた品種改良が横行していて、その種子を買ってしまったが最後、反応のいい高価な化学肥料や農薬を同じ企業から買い続けなければなりません。

こうなると農村は貧困に直面します。特に厳しい状況にあるのがインド** で、経済的に立ち行かなくなった農民の自殺が増えています。手っ取り早く、しかも確実に死ねるということで、輸入した化学農薬を飲んで命を絶つ。お金も生命も農薬に搾り取られるというひどい事態が起こっています。

国の中と外に貧困を生み出すことで成り立つ日本のフードライフ

遺伝子組み換えの問題は、健康や生態系の影響を懸念する声が大きいように思いますけど、それ以上に今のグローバルなフードシステムを強化していることの方が深刻かもしれません。利益が一部のグローバル企業に集中して、農民と消費者には届かないようなシステムががんじがらめにできてしまっている。そのシステムを維持するための手段の1つが、遺伝子組み換え技術ということです。

加えて、先ほどの4点セット、種子開発、農薬、化学肥料、トラクターはどれも地球温暖化をもたらします。化学肥料は石油だけで作れると思われがちですが、実は石炭を使います。そして、石油や石炭の生産には膨大な労働力とエネルギーを使う。要は化石燃料漬けの農業をしなければいけなくなる。現代の農業技術体系は非常に多くの問題をはらんでいるのです。

一部の巨大なグローバル企業が利益を得るシステムを作るには、海外の農民たちを貧しくしなければならず、一方で国内では労働力を安く調達するために、非正規雇用の労働者を作らなければいけない。それが大人の貧困、ひいては子どもの貧困を国内で生み、海外では農民の貧困を生んでいる。日本はその両輪によってこの幸せなフードライフをエンジョイしていると考えると、全部つながっていると思うんです。

(トップ写真:Dan Gold on Unsplash)


藤原氏のウェブサイト「藤原辰史の研究室」。専門は歴史学、特に農業史と環境史。戦争、技術、飢餓、ナチズム、給食などを中心に、食と農業の歴史や思想について研究している。
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~fujihara/index.html


藤原氏。取材はオンラインで行った。

* 「ポール・ロバーツは『食の終焉』で、朝食用シリアル企業は広告費に年間売上高の半分を投ずると指摘しています。エリック・シュローサーの『ファストフードが世界を食いつくす』でも、消費者の心をくすぐる食品産業の仕組みが明らかにされています」(藤原氏)

** インドのモディ政権は中心主義的な発想で、化学農薬普及の動きを強めている。それに反発する人々が1億人規模でデモを展開するなど、格差の拡大はインドでも大きな問題になりつつある。

自己責任を厳しく追及される最近の風潮。
これは本当に私たちの生きたい社会なのか?

「貧困」と「食品ロス」という2つの問題を食の側からどう改善していくか。アプローチとしては次の3つに絞られるのではないかと思います。

1つは、強力な権力を使って徹底的に食の無料化を進めていくこと。農村から作物をいったん全て中央に集めて、それを全体へ分配するというものです。

2つ目は、強制的に食べ物を集めるのではなく、もう少しゆるやかに、地域で食べ物の分配を考えていくというもの。

3つ目は、食べ物ではなくお金を配布するというベーシックインカムの導入です。全員同じ金額で、生活に必要最低限のお金を税金で分配するというものです。

弱者切り捨てにつながりかねないベーシックインカムの落とし穴

このうち、私が一番いいと思うのは2番です。これを具体的に実践するための概念として「縁食(えんしょく)」というものを提起しているのですが、詳しくは後ほどお話しすることにして、まず1と3がなぜ除外されるかを説明しましょう。

まず、1は既に歴史的に実験済みで、しかも失敗に終わっています。例えば、ロシア革命後に戦時共産主義が生まれ、穀物を農村から強制的に徴発した結果、農村では人肉が売買されるほどの厳しい飢饉に見舞われました。強権的な社会主義は人間を暴力的にするということです。なので、この選択肢はよほどの食料不足にならない限り、とても危険であると思います。

3つ目のベーシックインカムについては、私は半分ぐらい賛成なんです。全面的に肯定できないのは、富を分配しておけば給料はもっと低くできるという言い逃れの道具になりかねないからです。派遣労働者をさらに安く働かせたり、国や地方自治体のケアを縮小したりする口実になるかもしれません。

さらに、仮にそのベーシックインカムで得たお金を何か別のことに使って飢えたとしたら、まさに小泉政権からのキーワードである自己責任として切って捨てられるでしょう。パチンコに全部費やした人は、おそらく「勝手に貧しくなれば?」と言われて終わり。それが本当に私たちの生きたい世の中かというと、そうではないと思うんです。

「お金の貧困」と「関係の貧困」を示した親子の餓死

「お金をあげるから後は自分でやって」というのは福祉国家の罠です。あまりにも強権的な福祉国家になると、お金を国からもらっているからということで、助け合ったりケアしたりする気持ちが作動しなくなる危険性がある。福祉が手厚過ぎることが、かえって人と人とのつながりを希薄にしてしまう場合もあるということですね。

こういう傾向は日本でも無縁ではないと思います。2020年に大阪で親子2人が餓死*** したことは、それを示す一端ではないでしょうか。大阪ほど食べ物があふれている場所で餓死者が出たことは本当に衝撃的です。

モノはあふれているんだけれども、亡くなった方はそれを買うお金がなかった。でも街では食べ物はあふれて捨てられまくっているわけですね。要するに、これは「お金の貧困」であると共に「関係の貧困」ということ。関係さえつながっていれば、食べ物は無料で入手できたはずで、関係の希薄さが命を決めてしまう社会に日本はすでになっているということです。

食べ物はお金と違って「ちょうだい」も「あげる」も言いやすい

お金って、契約のツールとしては便利なんです。これだけ払うから、これだけ働いてくださいと細かく決められますから。でも関係性づくりにはとても不便な道具だと思います。

そこへいくと「食べ物」は、お金のような等価価値の交換になじみにくい性質を内在しています。余分に作ることもできるし、おすそ分けもしやすい。だから「ちょうだい」も「あげる」も言いやすい。お金をおすそ分けされると隷属的な気分になるけれども、食べ物のおすそ分けはいい関係性をもたらします。

これからの豊かさは、そういうところに生じるのではないか。そう考えて、私は2番目の縁食という新しい食のあり方を描いているわけです。

一人ぼっちで食べる「孤食」ではなく、関係を強いられる「共食」でもない、世代や性別や国籍や貧富の差を問わず、誰でも「おいしいご飯を食べる」という一点のみで食事を共にする。食べ物も人間関係も囲い込むのではなくて、その場に巡り合わせたみんなで分かち合う。子ども食堂や炊き出し、町の食堂、居酒屋、縁側などをイメージしてもらえれば分かりやすいでしょうか。

生命を維持するために不可欠な食事と、それを介してゆるやかにつながる関係性を同時に満たしていく。そして、そういう場を広げていく。縁食空間という具体的で、すぐ手が届くものが目の前に存在している方が、時々数万円が振り込まれるよりも、人間の心の状況としては弾力性があるような気がするんです。危機に対して対応しやすくなるんじゃないかと思うんですね。

縁食は災害に負けない関係を築くのにも役立つ

縁食は災害のインパクトを緩和するのにも役立ちます。実際、災害が起こるたびに給食を始めとする各地の縁食的な調理設備で炊き出しが行われ、そのありがたみを実感するということを歴史的に繰り返してきました。

日本という国は、2011年3月に気づかされたように、もう災害と生きていくしかないんですよね。コロナ禍で子ども食堂や大人食堂が多くの人を救ったことでも分かるように、災害に敏感にならなければいけない国だからこそ、縁食はもっと重視されてもいいのではないかと思います。

阪神淡路大震災の直後に神戸を取材したジャーナリストの方は、現地で被災者のみなさんの人情に助けられたそうですが、中でも炊き出しの恩恵が大きかったと話していました。最初は遠慮したそうですが、「いいんだ、大事な仕事をしているんだから食べていけ」と言われて、結局1週間、お金を払わずに取材ができたとおっしゃっていました。

炊き出しってまさに縁食なんですけど、非常時だけのものと思われがちです。でも、マンションやアパートで隣人を知らないまま生活するのと、家はないけれどもみんなで朝昼晩と一緒に食べるのと、どちらが人間らしい暮らしでしょうか。どちらが“非常”だと思いますか。

そういうことを思想史家の渡辺京二さんが2016年の熊本の震災の後、新聞のエッセーで問いかけておられて、なるほどなと思ったんです。人と助け合うこともなく、パッケージ化された食べ物を家でひっそりと孤独に食べているのと、広い校庭で豚汁を食べながら、みんなと苦楽を共にするのと、どちらが人間的でノーマルだろうかと。

答えはやはり後者ではないかと思うんですね。そういう意味で縁食は、貧困や孤独への1つの対処となるだけでなく、災害に負けない関係を築くという意味でも、大きな役割を果たすのではないかと思っています。

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(2021.2.12 オンラインにて取材)

text: Yoshie Kaneko

(イメージ写真:Elevate on Unsplash)

*** 2020年12月、大阪市のマンションの一室で40代の女性と、同居する60代の母親がともに餓死しているのが見つかった。


藤原氏の著書『縁食論――孤食と共食のあいだ』(ミシマ社)。さまざまな切り口から縁食の可能性を示し、新しい食の形へと結実させる試みの本。

藤原辰史(ふじはら・たつし)

1976年北海道旭川市生まれ、島根県奥出雲町出身。2002年京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。博士(人間・環境学)。東京大学大学院農学生命科学研究科講師などを経て、2013年より京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史・環境史。著書に、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)、『カブラの冬』(人文書院)、『ナチスのキッチン』(水声社/決定版:共和国)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『食べること考えること』(共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書)、『給食の歴史』(岩波新書)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会)、『分解の哲学』(青土社)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)など。

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