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ネットで見える世論を真の世論と見てはいけない

中庸層が萎縮して発言を控える状況をどう改めるか

[田中辰雄]慶應義塾大学 経済学部 教授

日本でもアメリカでも、「ネットが社会を分断している」という指摘が多くあります。日本の状況については、定量分析の結果、それが事実誤認であるということは前編で説明しました。

アメリカの状況に関しては、私が実際に調査したわけではないのではっきりしたことはいえませんが、さまざまなデータから見る限り分極化が起きているのは間違いないと思います。ただ、何が分断を招いているか、因果関係は慎重に見極める必要があるでしょう。

分断された世論がネットを通じて可視化されるアメリカ

例えば、トランプ大統領がネットを使って自分に有利なように世論形成をあおり、結果として社会の分断を招いているというようなこともいわれますが、トランプ大統領が誕生する前から共和党と民主党の軋轢は深まっていました。アメリカの世論はトランプ以前から右と左の両極端が高まって、中庸が減っていたんです。

この分断の原因はネットではなく、別のところにあると考えたほうがいいだろうと思いますね。アメリカなら例えば経済格差や移民増加の問題もありますし、保守とリベラルといった思想の変節点とも考えられます。あるいは経済のグローバル化による産業構造の急激な変化も指摘できるでしょう。

いろいろな理由があると思いますが、いずれにしろ取り残された人たちが極端な思考に走っている可能性はあり得る。要は、ネットが世論を分断しているのではなく、分断された世論がネットを通じてよく見えるようになったということです。

実際、トランプ大統領が弾劾されても支持率が40パーセントもあるわけです。弾劾されようがマスコミでどんなに叩かれようが、絶対にトランプ大統領を支持する人がいるということ。「マスコミは信じるな」と主張する支持者たちは、思考の基盤の極めて強い層といえます。そういう一部の人がネットで声高に主張を繰り返すことで、実際の世論の動向を見えにくくしている面はあるかもしれません。

極端な強い意見が目立つのがネットの特性

過激な意見を持つ人が熱心にネットで発信しているというのは、日本でも見られる現象です。これも定量分析* で示すことができます。

例えば憲法9条の改正のような、人によって見解が分かれる政治的争点について、過去1年以内に60回以上の書き込みを行ったヘビーライターの数を調べました。すると、書き込みの経験もない人も含めたネットユーザー全体のうち、わずか0.23パーセントに過ぎないことが分かったのです。

ところが彼らの書き込み数が多いため、書き込み数のベースでは彼らの書き込みが50パーセントにもなります。つまり、ネットで目にする憲法改正についての書き込みの半分は、わずか0.23パーセントの人の書き込みです。彼らは一人で60回以上も書き込むのですから、強く賛成・強く反対という急進派が多いのです。つまり、我々の目にするのは両極端の急進派ばかりになってしまう。原発廃止に賛成か反対かといった別の話題でも同じ傾向が見てとれました。

炎上事件についていえば、過去1年に書き込んだことのある人は0.5パーセントに過ぎません。複数回書き込んで、罵倒と中傷を繰り返すような人はさらに少なく、数十人から数百人と見込まれます。こうした両極端の強い意見が目立つのがネットの特性です。

一方、過激な書き込みが増えると、中間にいる穏健派が萎縮して発言を控えるようになります。ネットで見える世論は分極化された意見が過剰にあふれていて、真ん中のサイレントマジョリティの声が見えにくいということ。ネットで見える世論を真の世論と見てはいけないわけですね。

サロン型SNSで情報の発信と受信を分離する

ネットに良質の言論空間を作るためには、中間の人々が安心して意見をいえる新しい形のソーシャルメディアが必要だと思います。

個人的に考えているのがサロン型のSNSです。炎上事件の主な原因は情報発信力の濫用です。そこで、議論の場に書き込めるのは会員だけに絞りつつ、その議論を読むのは誰でもできるという形で、情報の発信と受信を分離してはどうかと。メンバーシップ制にすることで炎上を防ぐわけです。

これはあくまで1つのアイデアで、もちろん他のスタイルも考えられます。人間のコミュニケーション能力はいろいろあって、フェイスブック、ツイッター、ライン、インスタグラムなどはどれも人間のコミュニケーションの一部を取り出しているに過ぎません。これからも違うタイプのソーシャルメディアが出てくるでしょう。それらが相互に補い合って、社会問題についてディスカッションするいいソーシャルメディアができたら面白いですね。

高校でネットにおける議論の仕方を教えることの意義

場作りと同時に、ユーザーのリテラシーを高めることも重要でしょう。基礎的なところでいえば、学校教育に取り入れてほしいと思います。

いま小学校や中学校でされているネット教育は、SNSで知らない人に会ってはいけないとか、詐欺も横行しているから気をつけようといった具合に、ネットのネガティブな面を伝えることに比重が置かれています。それも重要なんですけど、ネットでの基本的なマナーなど、もう少し違うタイプのリテラシーを教えることもできるんじゃないでしょうか。

高校生くらいになったら、ネット上における議論の仕方も学んでおいてほしい。極端な政治的な議論には関わってはいけないとか、炎上するサイトに書き込んでいるのはユーザーのほんの一握りとか、そういう基礎知識を年に3、4時間でも学ぶだけで、ネットとの向き合い方が変わってくると思います。


田中氏の専門は計量経済学、情報通信産業およびコンテンツ産業の経済分析。
https://kris.keio.ac.jp/html/100000456_ja.html

* 富士通総研の浜屋敏氏との共同調査による。


田中氏の上梓した『ネット炎上の研究――誰があおり、どう対処するのか』(勁草書房、山口真一氏との共著)では、ソーシャルメディアにおける炎上の特徴、分類、事例、社会的コストなどを論じている。

広く理解と許容を求めながら、
自信のある表現は押し切る強さがほしい

企業や団体など、情報を発信する側としても、ネットとどうコミュニケーションを取るか、その覚悟や流儀が試されているように思います。

例えば、広告や商品が思わぬ反感を招いて、ネットで炎上することもありますよね。そうなった場合、火消しに躍起になるだけでなく、内容を吟味して対応することが大事ではないでしょうか。

記憶に新しいところでは、「人生会議」** のPRポスターがそうですね。お笑い芸人の方を起用してインパクトを重視したデザインに仕上げたところ、患者団体などから「ショックだ」「不謹慎だ」といった声が上がって、掲載を停止したというものです。

でも実は、あのデザインは分かりやすくて訴求力があると評価する人が多くいたんです。賛否両論になった場合、実態を調べずにすぐ引っ込めてしまうのは、あまりよろしくない前例を作ることになってしまいます。というのも、騒げば優位に立てると分かればみんな騒ぎ始めて、他の人々の萎縮意識がいっそう強まってしまうからです。

どれくらいの人がどう思うかを調べることは可能です。ネットで調べたり、インタビューしたり、リサーチの専門家の手を借りてもいい。早い調査も可能で最短では3日もあればできます。調べてみて、評価する人が多ければ続行するとか、あるいは範囲や期間を限定して公開するといった方法もあるでしょう。

現状は萎縮や忖度が行き過ぎているように思います。厳しい批判をする人には丁寧に対応して、理解と許容を求めながら、自信のあるものに関しては押し切る強さを持ってもいいと僕は思うんですね。そして、そうやって押し切った場合、世論が「よくやった」と支えてあげることも大事だと思います。

うまく討議できるソーシャルメディアができれば社会はよくなる

そんなふうに表現の多様性を担保するためにも、中庸にいるマジョリティの声をネットで拾い出す必要がある。そのためにもサロンのような新しいコミュニケーションの場を作ることが望まれます。

サイレントマジョリティの人々がスピークアップする場がネットにはほとんどないんですね。おかしいなと思いながらも萎縮して、「この表現はいいと思う」「続けるべきだ」といった大多数の声が表に出てこないので、発信する側としては批判する声しか耳に入らない。だから身を引いてしまう。

ツイッターなどには時々、「人生会議のポスターは良いと思う」というコメントが出てきていたけれども、一般には流布しませんでした。世論を形成するような影響力を持つのは、いまのところツイッターが筆頭格なんでしょうけれども、しかしそれも機能としては十分と言い難い。

誰もが見える世論形成の場、中庸層のスピークアップの場は必要でしょうし、うまいソーシャルメディアの場所を作ることができれば社会はだいぶよくなるような気がします。

良質のコミュニケーションに無上の価値が置かれる時代へ

そもそも僕はネットが好きなんです。それが研究のモチベーションになっています。

昔からパソコンが好きで、パソコン通信もやっていたし、ネットの草創期からずっとネットと向き合ってきました。ネット草創期には、素晴らしい可能性が開けた、世界中の人々をつなぐツールが現れたといわれていました。いまもそういう面はあるけれども、一方でネットが社会を分断しているという声もあります。いい時代を知っているからこそ、何とかネットのポジティブな可能性にもう一度光を当てて、いい方向に持っていきたいという思いがあるんです。

現在のネット悲観論は、長期的に見るとだんだん解決されていくだろうと思います。資本主義の勃興期にあった悲観論が薄れていったのと同じようなもので、数十年かけて少しずつ解決策が模索されて、いい方向に向かっていくだろうという気がします。

長期的に見ても、コミュニケーションがより重要な社会になっていくでしょう。モノやお金で充足を得る時代から、人々がコミュニケーションして楽しんだり笑いあったりすることに何よりも価値が認められる時代へ、50年、100年といった単位で変化していくのではないでしょうか。

いまはその変化の途中段階で、ネットとの付き合い方も試行錯誤の最中にあると思います。分断がネットを通じて可視化されやすいという課題況も、一種の超えるべきハードルといえる。自分の研究が、ポジティブなネット社会を実現するための一助になればと願っています。

WEB限定コンテンツ
(2019.12.20 港区の慶應義塾大学にて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Rikiya Nakamura

** 厚生労働省が提唱する、人生の最終段階の医療やケアを前もって考え、家族や医療関係者などと共有する取り組み。

田中辰雄(たなか・たつお)

1957年、東京生まれ。東京大学大学院経済学研究科単位取得退学。現在、慶應義塾大学経済学部教授。専攻は計量経済学。著書に『ゲーム産業の経済分析』(共編著・東洋経済新報社)、『ネット炎上の研究』(共著、勁草書房)など。

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