このエントリーをはてなブックマークに追加
foresight_wakabayashi_2_main

腐敗のない公平な社会をAIがつくる?

面倒で効率の悪い民主主義、その先にあるものとは

[若林恵]株式会社黒鳥社 コンテンツ・ディレクター

西洋的な統治とアジア的な統治をざっくりと比較すると、基本的にアジアでは欧米よりもはるかに古い時代から「官僚支配」というものが続いています。というのは、中国がすでに宋の時代に、貴族階級を排除する形で、科挙という官僚制度を敷くからなんですが、これは世界史的に見ても、かなり大きなエポックと考えられているんです。

『中国化する日本――日中「文明の衝突」一千年史』(與那覇潤、文藝春秋)という本は、中国が宋代に行った転換、つまり「官僚制の導入」と「貨幣経済の導入」がどれほど大きなインパクトをもち、それが結果として世界的な「近代化」を促す契機になったかを明かした本なのですが、この本によれば、1000年前に中国で始まったグローバル化、民主化の動きに、日本は1000年を経たいまも適合できていない、ということが語られています。日本は、ずっと身分制を保持したままだし、貨幣を軸とした市場経済にきちんと移行できていないと。言われてみると、確かにそうなんですよね。150年前まで、お米で納税していた国ですから。

ちなみに科挙制度の何がラジカルだったかというと、身分制を排除して、試験に通れば誰でも国家公務員になれるようにしたことです。この科挙制度自体は598年に隋の時代に始まっているけれども、宋時代に科挙制度で登場した官僚が支配階級になり、社会で地位や権力を得るようになっていきました。「誰でもなれる」といってもそれなりの経済力がないと受験戦争に勝ち抜けないのはいまと一緒で、試験が民主化されたからといって、すぐに民主的な制度になるわけではないのですが、とはいえ、身分制をそうやって否定したのは、相当にラジカルだと思うんです。

日本はグローバルスタンダードに乗るタイミングを逸した

それをもって中国は基本的に身分制度が撤廃され、同時に自由経済が進展したということが、11世紀ぐらいに起きている。貨幣経済、自由経済の発展と、身分制の撤廃といったことが起きて、いわば近世がその時点で始まっているという見立てになるんですが、日本にもその余波は当然来るわけですね。最初は平安末期にそれを受けて、貨幣経済を取り入れようとしたのが実は平家なんだそうです。ところが、そうした改革を、源氏がつぶしてしまう。

平家が失敗して、その次には後醍醐天皇が自ら貨幣を発行しようとして、貨幣経済に向けた改革に乗り出すんですが、これも不首尾に終わる。後醍醐天皇が生まれる少し前に元寇があって、それもグローバリゼーションの到来の契機だったんですが、それもまぐれで追い返せちゃった。

そんなこんなで、日本は納税が貨幣で行われない時代が続いていきました。お米で年貢を納めていた江戸時代には、世界は早々に貨幣経済の波に乗っていったわけです。結果、グローバルスタンダードに乗っかるタイミングを失くし、封建制が維持されていくといったものが日本の歴史だったと、この本には書いてあります。

面従腹背もあるアジア型専制支配で幸福度が上がる可能性

とまあ、日本はグローバリゼーションという面では他国に後れをとったわけですけども、社会統治に関してはそれなりにうまいものを作り上げていったのが面白いところです。

日本は、身分制が強く残った社会で、その統治形態は、おそらく中国とは根本的には違うんですが、とはいえ、江戸時代は明確に、武士=官僚による支配体制だと思いますので、官僚統治というものに対する独特の距離感と、付き合い方みたいなものがあるように思うんですね。支配機構に全権を委譲し、自分は責任を取らなくていいという体制の中で日本の独特のメンタリティが出来上がっていったと見えるんです。日本人は、官僚やお上を信頼していないのではなくて、実はとても信頼しているんですね。平気で白紙委任状を渡しているわけですから。

ところが、江戸時代あたりだと、池波正太郎の小説なんかを読むと、商人の方が武士よりも実質的な権力は持ってるんです。武士は貧乏だし、基本的に禄高が決まっていて、市場経済に入れない。だから両替商が金を貸して武士を食い物にしている。どちらが偉いのか、ある時期から分からないような状況になっていくのは、時代劇でもおなじみじゃないですか。なんだけれども、一応武士のほうが偉いという前提は、みんながプロトコルとして保っている。本音と建前とが別個に作動していて、それが同時に走ることで、何となくうまく機能する。これって、透明でルールが一元化されたガバナンスよりも、はるかに効率のいいガバナンスなんですよね。

本音と建前のある官僚支配、もしくはヒエラルキーがある程度存在する社会の方が、民主主義なんかよりはもしかすると効率がいい可能性はある。そう考えると、ガチガチに統治する西洋型の民主主義よりも、面従腹背もアリというアジア型の「賢い専制」の方が幸福度が上がる可能性があるということ。おそらく中国はそれをいま証明しつつあるんではないかと思うんです。


株式会社黒鳥社は、「社会を再想像する」ためのコンテンツをつくることをミッションに掲げるプロダクション企業。2018年設立。
https://blkswn.tokyo

テクノロジーをうまく実装することで、
政府の関与なしに社会課題の解決を図る

民主主義って面倒だし効率が悪いんですよ。チャーチルは、民主主義は最悪の制度だ、しかし現状ある中では一番ましと言っている。イギリスの作家、E.M.フォースターは、民主主義は万歳三唱するほど素晴らしいものではない、二唱程度のものだと言っています。

だから、民主主義はその程度のものという見方もできるわけです。その効率の悪さが民主主義の弱点であるとするならば、テクノロジーをうまく実装することで、議会や政党といった仕組みを使うことなく合意形成を行って、社会課題を解決していくような仕組みを作り出すことができるかもしれない、というあたりが、今後の行政をめぐるイノベーションの核心にある論点なのかな、と思います。

「人はコラプトする、でもデジタルのシステムはコラプトしない」

以前、エストニアの人と話していて感じたのが、「この人たちは本当に政府を信用していないんだなあ」ということ(笑)。それはおそらくエストニアに限らず、旧ソ連邦の人たちに共通していることかもしれませんが。彼らが強調していたのは、「人はコラプト(腐敗)する、でもデジタルのシステムはコラプトしない」ということでした。

人間の仕事を奪うからとAI脅威論も言われているけれども、作業によっては人間よりコンピュータにやらせたほうがいいという意見もあるということです。それは正確さやスピードを追求するというより、公平性を担保するための道具としてなんですが。

ブロックチェーンを組み合わせてシステムを構築すれば、イレギュラーな処理が起きた瞬間に誰かが関与したと分かるでしょう。テクノロジーそのものがある種のチェック機構になるわけです。エストニアの人々のそういうテクノロジーとの向き合い方は、これからの社会のありようを考える1つのヒントになる気がします。

それからもう1つ、AIがどういうアルゴリズムでこの判断を下したのかという理由の部分が、もはや人間には分からなくなってしまうという話がある。これは案外いいなと思うんですよ。意思決定のプロセスが完全にブラックボックスになって、人が一切関与できないということは、それはコラプトしないということでもある。だからAIを一種の非常に強力な暗号ととらえることもできますよね。人間はもはやそれに従うしかないわけで、それがいいかどうかはまた別の問題だけれども。

AIの会話に人間が踏み込めないことで可能性が開かれる

例えば、僕が責任編集した『NEXT GENERATION BANK――次世代銀行は世界をこう変える』でも取り上げたけれども、ホモモーフィック・エンクリプションという半透明化の暗号技術があるんです。相手のデータベースを一切見ないで、だけどデータベースの中身を解析することができるという技術で、摩訶不思議だけれどもそういうことがいまや可能なんです。

それが何に使われるかというと、例えば衛星との通信なんですね。軍事衛星もあれば気象衛星もある中で、軌道などのデータはお互いに共有しないといけない。すなわち機械同士が会話しなきゃいけないんだけれども、開示したくない機密データに関して使われる暗号化技術ということ。なんだけど、そういうものって結局、人間に漏らさないことが目的なんですよね。人間に漏れるとろくなことがないという話で。

例えば、2つのチャットボットをコンピュータ上で掛け合いさせると、やがてお互いに会話し始めるんですよ。進化アルゴリズムなんかは、そういうテクニックも使っているんです。

その会話は人間には分からなくて、機械同士が勝手に自分たちのいいようにアルゴリズムを使ってやりとりするんですね。そうすると、そのシステム自体コラプトしないという可能性はあるんじゃないかと考えると、何か使い道がありそうな気がしますね。エストニア人じゃないけど、人間が関与できないほうが信頼できるんじゃないかという。だからAIの言っていることを人間が分からないということは、何らかの可能性を開くかもしれません。

WEB限定コンテンツ
(2019.7.4 港区の黒鳥社オフィスにて取材)

text:Yoshie Kaneko
photo:Rikiya Nakamura


『NEXT GENERATION BANK――次世代銀行は世界をこう変える』(日本経済新聞出版社)は、黒鳥社のレーベル「blkswn paper」第一弾。これからの新しい金融と次世代銀行の姿を、各界の識者とともに若林氏が探っている。

若林恵(わかばやし・けい)

1971年生まれ。編集者。ロンドン、ニューヨークで幼少期を過ごす。早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業後、平凡社入社、『月刊太陽』編集部所属。2000年にフリー編集者として独立。以後、雑誌、書籍、展覧会の図録などの編集を多数手がける。音楽ジャーナリストとしても活動。2012年に『WIRED』日本版編集長就任、2017年退任。2018年、黒鳥社(blkswn publishers)設立。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

RELATIVE 関連記事

社会の重心は中央から「地方」「ネットワーク」へシフトする

[若林恵]株式会社黒鳥社 コンテンツ・ディレクター

デジタル社会のガバナンスで重視される「分散主義」

[若林恵] 株式会社黒鳥社 コンテンツ・ディレクター

RECOMMENDEDおすすめ記事

マンネリ、しらけを排除して競争力のある人と事業に投資する

[サイバーエージェント]渋谷区, 東京, 日本

アートとテクノロジーの両輪で、もっと生きやすく楽しい世界を

[長谷川愛]アーティスト、デザイナー、東京大学大学院 特任研究員

日本のものづくり停滞の根はどこにあるか

[藤本隆宏]東京大学大学院経済学研究科 教授

TOPPAGE