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「暇」を楽しんでこそ自分が磨かれる

日本のワーカーはなぜ「暇はないが退屈」なのか?

[國分功一郎]高崎経済大学 経済学部 准教授

僕は『暇と退屈の倫理学』という著書の中で、暇と退屈の関係性、仕事や余暇を含めた時間の使い方について考えを巡らせています。

「暇」と「退屈」は同一視されがちですが、暇は何もすることのない、する必要のない時間であるのに対して、退屈は何かをしたいのにできないという感情や気分を指します。いわば前者は“客観的な条件”に関わるもので、後者は“主観的な状態”であるわけで、全く別物なんですね。

「暇ではないが退屈」という感覚が日本に蔓延している

両者を掛け合わせて考えると、「暇で退屈だ」ということは時間を持て余すような状態であり、「暇がなくて退屈もしていない」ということは何かに熱心に取り組んでいるような状態であると分かります。「暇があるけれども退屈していない」というのは、労働する必要のない有閑階級の時間の使い方といえるでしょう。

では、「暇はないけれども退屈だ」という状態はどうか。一見謎めいているけれども、実は多くの人がよく経験していることではないかと思います。つまり、何かをやろうとしているけれども心ここにあらずのような状態。例えば、オフィスにいるけれども仕事に身が入らないというようなときは、これに当てはまるのではないでしょうか。

仕事に限らず、生活のあらゆる場面で「暇ではないが退屈」という事態は起こり得ます。そして、そのすっきりしない感覚が、いま日本に生きている僕らを支配しているのではないか。そういうことを僕は本の中で問うたわけです。

この本を上梓したのは2011年でしたが、初版から6年経った今でも「暇ではないけれども退屈だというのは、まさに自分のことだ」という声を聞きます。忙しく活動しているけれども充足感が得られない。常に何かに追い立てられつつも、その環境そのものに倦んでいる。そんな状態はますますエスカレートしているのかもしれません。

仕事で自己実現すべきという強迫観念

ラテン語で仕事のことを「ネゴチウム(negotium)」といいます。これはwithoutやnonのような不在の概念を示す「nec」と、余暇や空き時間を示す「otium」が結合した言葉です。つまり「暇がない」ということ。ギリシャ語では仕事は「ア・スコリアー」といいますが、これも全く同じ「暇がない」という言葉で表現されています。

こうしたことから、例えばハンナ・アーレントは、古来から人々は自分と向き合う自由な時間である「オチウム=暇」という概念をまず中心に置き、それがない状態を仕事と位置づけていたと示唆しています*。オチウムこそが真理を追求する価値ある時間であり、やらなければならないから仕方なくやるという消極的な態度で臨むのが仕事だったということです。暇は高貴なことで、あくせく働くのは身分の低い人間だったわけです。

翻って現代の日本の労働者はどうかといえば、ちょっと忙しすぎると思いませんか。1日の労働時間も長いし、休暇も十分に取れない。暇というと否定的に見なされがちですが、何もしない時間があればこそ、自分を見つめ直して自己を磨き上げることができるのです。他方で、仕事で自己実現しないといけないという強い思い込みを持つ人も多い。

つまり、仕事に振り回されて自分と見つめ合う時間がない、かつ、仕事で自分を実現しなければならないと思っている。極めて苦しい状況に陥っているのが日本の一般的な労働者の姿ではないでしょうか。

一人でいることを過度に恐れてはいけない

もちろん古代の考え方を現代に復活させることは不可能だし、仕事そのものを否定するつもりもありません。僕が言いたいのは、仕事がまずあって、たまに休暇が与えられる、そんな生活が当たり前だと思う必然性は全くないということ。

仕事で自分の価値が決まるという発想もナンセンスです。いま自分たちが持っている労働観や休暇観が決して普遍的なものではないということをまず知っておくべきだと思うんです。

暇で孤独な時間こそ大事だと僕は思っています。アーレントも指摘しているように、「孤独」と「独りぼっち」は違います。英語でいうとソリチュードとロンリネスの違いですね。ロンリネスというのは寂しさや人恋しさを帯びた状態です。対して、音楽やバレエの世界で独奏・独演する人をソリストというように、ソリチュードという言葉は他にまみれない“確立した個”を含意している。孤独でいられる人というのは自分自身と対話できる人、すなわち内省できる人だというアーレントの指摘に僕は共感します。

一人でいることに心細さを感じることは誰でもあるし、人とつながりたいという欲求も自然なものですが、要は一人でいることを過度に恐れてはいけないということです。一時期、「ぼっち」という言葉が流行りましたよね。一人で食事したり休み時間を過ごすのは恥だという風潮、あれはおかしいんですよ。孤独の時間こそ自分を磨き上げていくことができるんです。僕は学生に「ぼっちこそ素晴らしいんだ。みんなぼっちになるべきだよ!」と力説しています(笑)。


『暇と退屈の倫理学 増補新版』(2015年、太田出版、写真)は、紀伊國屋じんぶん大賞2011大賞を受賞した旧版『暇と退屈の倫理学』(2011年、朝日出版社)を大幅改稿したもの。退屈の発生根拠や存在理由、暇の効用について追究している。

* ハンナ・アーレント『過去と未来の間』(みすず書房、引田隆也・齋藤純一訳)

技術の進歩で仕事の密度は高まっている。
私生活への侵食に歯止めをかける仕組みが必要

ただ、デジタル機器やSNSの普及で孤独の時間を持つことが難しくなってきている。僕もそうですけど、すぐにケータイやスマホに手が伸びますよね。

夜の12時に編集者にメールで原稿を送ると、すぐ返事が来るんですよ。「素晴らしいです」とかありがたいコメントをくれるんだけど、深夜に普通に仕事をしている状況はおかしい。

技術が進歩したことで仕事と私生活の境目があいまいになり、休息の時間がどんどん削られているというのが、この20~30年の流れだと思います。仕事の密度は間違いなく高まって、忙しさも増している。このスピード感に歯止めをかけるような仕組みを作らない限り、仕事がどんどん私生活を侵食して状況はより悪化していくでしょう。

フランスやオランダは働きすぎを法律で規制

個人的には法律による規制が必要じゃないかと思います。フランスでは最近、「オフラインになる権利」というものが認められ、一定規模の企業では、メールのチェックや送受信をしてはいけない時間を、雇用先と労働者の間で協定によって取り決めることが義務づけられました**。そういう風に法律で規制しないと事態は改善しないんじゃないかと思いますね。

世界的には労働時間短縮の方向で進んでいるでしょう。フランスでは2002年に週35時間労働制が法で規定されて、労働時間の上限を設けることで余った労働に対する需要を失業者に回すという、失業対策と労働者の福利厚生を兼ねた仕組みがあります。オランダも週休3日が当たり前になっています。

日本は長時間労働を是正する動きはあるものの***、依然として月100時間の残業が認められるなど、労働者の拘束時間が長すぎる印象です。ここは思い切って労働時間を法律で制限すべできではないかと思いますね。会社も個人も率先して労働時間短縮に取り組んだ方が生産性も上がるのではないでしょうか。

みんなが余暇を楽しむと社会に革命が起こる

法律ができないならば、自分なりに意識してオフライン状態を確保していくしかないけれども、これは難しいと感じています。というのも、僕自身がものすごくワーカホリックな人間だから。忙しいと調子がいいけど、手持ち無沙汰になると不機嫌になる(笑)。こういう人って日本には結構多いんじゃないでしょうか。

それはやっぱり小さいときから余暇を楽しむことに慣れていないということなんでしょうね。余暇を楽しむ訓練をしていない。もっと言うと、暇があることに対する恐怖があるのかもしれない。

『暇と退屈の倫理学』には、みんなが余暇を楽しむと消費の形も労働のあり方も変わって社会に革命が起こるというテーゼがあります。そもそも余暇の楽しみ方を知らないと、定年後はやることがなくてつらいですよ。今からでも遅くないので、余暇をどう楽しむかを一人ひとりが真剣に考えるべきではないでしょうか。

楽しむというのは学ばないとできないことなんです。食事と同じですよ。小さいころからいろいろなものを食べて味覚を発達させることで、複雑な味わいを楽しめるようになるわけでしょう。楽しさを自分に与えることができるようになるための学びが、まずは大切かなと思います。

WEB限定コンテンツ
(2017.4.21 渋谷区のクリエイティブラウンジMOVにて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Tomoyo Yamazaki

** 2016年5月の労働法の改正によって認められることとなった権利。

ワークサイトではオランダ社会の動向に詳しい拓殖大学客員教授・長坂寿久氏を取材している。記事はこちら。
前編「新しいシステムはオランダから生まれる
後編「オランダはいかにワーク・ライフ・バランスの最先端国になったのか

*** ファーストリテイリングは一部社員に週休3日制を適用。佐川急便も週休3日制の導入を決定した。

國分功一郎(こくぶん・こういちろう)

1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学 経済学部 准教授。専攻は哲学。主な著書に、『スピノザの方法』(みすず書房)、『暇と退屈の倫理学 増補版』(太田出版)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)、『来るべき民主主義』(幻冬舎新書)、『近代政治哲学』(ちくま新書)、『民主主義を直感するために』(晶文社)など。訳書にドゥルーズ『カントの批判哲学』(ちくま学芸文庫)、ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(共訳、みすず書房)などがある。‎

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