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長期的視野でケイパビリティを育みイノベーションを誘発する

デザインで「文化」という外部性を取り込む

[山内裕]京都大学経営管理大学院 准教授

デザイン思考やデザイン戦略といった言葉がよく聞かれるようになりました。多くの企業でもデザインをキーワードとした活動が展開されています。しかし、なぜいまデザインが重要なのか、それを本当に理解している企業は極めて少ないという印象です。

企業にとって価値の源泉は市場の外部にしかない

デザインが注目を浴びている背景には、資本主義社会が限界に達しつつあるという切迫した事情があります。どれほど画期的な商品を出しても、この消費社会ではそれが流通した瞬間にブランド化し、価値が陳腐化してしまいます。iPhoneの新機種でさえ、市場に登場すれば瞬く間に消費者のボルテージは低下してしまう。言い換えれば、市場に流通しているものは陳腐なものしかないということです。

となると、企業にとって価値の源泉は市場の外部にしかないのです。資本主義が今まで市場から追い出していたもの、すなわち文化です。ここでいう文化には、芸術とそれに準ずるデザイン、エスニックなもの、サブカルチャー、伝統工芸も含みます。そうした資本主義的な合理性の対極にあるものと親和性の高いところでデザインという概念があるわけです。資本主義社会が限界に直面して、自らが今まで排除してきた文化に依存している。そういう皮肉な状況なんですね。

デザインというものは、機能に奉仕するものとして資本主義を強化してきた一方で、資本主義社会から追い出されてきた芸術に通じる外部性でもあるわけです。芸術においては、芸術家は金儲けに無頓着で、むしろ非合理的な変人の方が価値があるというように、資本主義とは正反対の論理が作られます。このデザインを取り込もうとすることの意味が本当に理解されているのかということは根深い問題をはらんでいます。

デザインに内在されたリスクを企業は理解すべき

単にデザイナーを雇って何かクリエイティブな仕事をさせたらいいとか、あるいはデザイン思考でみんなクリエイティブになりましょうとか、そういうことではないのです。

デザインは自分たちが排除してきた外部性を取り込もうとする行為であり、となればそれは社会批判にも通じます。そして自分の慣れ親しんだ社会を批判し、新しい社会を作り出す。企業はそこまでやる覚悟があるのか。デザインにそうしたリスクがあることを企業はしっかり理解しなければなりません。

例えば、前編で話した高級な鮨屋のような例では、客を喜ばせようとしない職人的な態度は、客を喜ばせて儲けることに興味がないというように、客には資本主義の反転として映り、結果として外部性をうまく獲得することになっています。

職人性ということでは、スティーブ・ジョブズにもそういう一面がありました。彼は優れた経営者でありながら、一方で儲けを度外視したこだわりも持ち合わせていました*。資本主義を体現しているかのような内部性でもあるけれども、そのロジックを否定するような外部性もある。そうした微妙な両義性がいま必要とされているのだと思います。


京都大学経営管理大学院は2006年4月に開設。先端的なマネジメント研究と高度に専門的な実務をつなぐ教育を実践している。
https://www.gsm.kyoto-u.ac.jp/ja/


山内氏のウェブサイト。
http://yamauchi.net/

* スティーブ・ジョブズは、ユーザーに見えない部分の配線も美しくあるべきだという美意識があったと、山内氏は指摘する。

未来にばかり目を向けるのでなく、
過去を大事につないでいくことが重要

イノベーションは起こそうと思って起こせるものではありません。従業員が革新的なアイデアを提案し、それをイノベーションに結び付けようとする仕組みはよくありますが、クリエイティビティは義務感から生まれるものではないのです。個人の天才的な営為によってオリジナルなアイデアを生み出すなどということは、近代社会の幻想でしかありません。

また、企業は資本主義の外部性としてクリエイティビティに依存する一方で、それを組織にとって都合のいい形で飼い馴らそうとします。クリエイティビティを属人化せずに仕組み化しようとしたり、あるいはクリエイティビティの発揮を外部に委託して成果だけを手に入れようとするのです。その過程で「オリジナリティ」はそぎ落とされ、投資対象として判断されマネージされる類いの「アイデア」に還元されてしまいます。

結果として、新規性のあるアイデアに次々と投資を行うことになりますが、当然ながらそれでは大きな成功に至りません。ここで失敗から得たものを資源として蓄積できればいいのですが、失敗したものはアイデアが悪かったとして全て否定され、また次にゼロから開始するというサイクルに陥ります。企業の能力や資源が積み重ねられないということで、非常にもったいない話です。

新規性を追って自分たち本来の強みを失ってはならない

先の変化を予測して戦略を打ち立てるモデルはもう通用しません。目先の変化に揺さぶられるから、小手先のR&Dになってしまうのではないでしょうか。変化の激しい時代であるからこそ、足元をしっかりと固めて長く同じ活動を続けることが必要だと思います。

ここで思い出されるのが、以前に勤めていたゼロックスのパロアルト研究所(PARC)です。イノベーションを継続的に生み出していたのは、40年くらい同じことに取り組んでいるグループでした。基本的には同じテーマを研究しながら、新しい応用領域や技術シーズへの適応も折々に進め、徐々に拡大させていく過程でイノベーションを起こしていくのです。長期的に研究を育てることでその分野の世界的権威となり、人材や情報も集まってくるようになります。

未来にばかり目を向けるのでなく、過去を大事につないでいく。イノベーションを狙って新規性に賭けるのではなく、長期的視野からケイパビリティ(能力、将来性)を育てていく。そういう構えが結果としてイノベーションをもたらすのだと思います。

長く続けるということは、同じことを同じように繰り返すということではありません。同じことをやり続けて気付いたらその領域が時代遅れとなっていたということのないよう、常に先手、先手で方向性を柔軟に修正していくのです。それが技術的なノウハウの拡大をもたらし、またメンバーも入れ替わることでネットワークも広がっていきます。新規性のあるアイデアに飛びつくのではなく、腰を据えて見定めることができるようになります。

長期的に研究を続けるには、変化に柔軟に対応しなければならないのです。同時に、長期的に積み重ねてきた知見やノウハウ、ネットワークが変化に対応する力になります。アイデアだけの勝負では大きな成功は見込めませんし、他社の追随もあることでしょう。もちろん革新的なアイデアを考えること自体は意味のあることです。しかし、それにより自分たち本来の強みを失うことのないように注意が必要だということです。

時代に合ったデザインの方法論を構築していきたい

もちろんイノベーションを諦めるという意味ではありません。イノベーションを生み出すためには、面白いアイデアで勝負するのではなく、社会の変化を見極めて人々が自己について抱えている不安をとらえ、新しい社会をひとつの形にしなければなりません。その意味でも、長期的視野から腰を据えて考え抜かなければならないのです。

私はデザインとは、「社会の外部性を内部に節合すること」と考えています。社会の中にいる人が持っている潜在ニーズを満たすのは、問題解決にはなっているかもしれませんが、デザインの持つ本来の意味ではありません。自己に不安を抱える人が、どきどきしながら新しい社会に一歩踏み出すことで、新しい自分を呈示していく、そのような過程こそデザインするべきです。

まだまだこのようなデザインの方法論は、その影すらつかめていません。我々学者としても、時代に合ったデザインの方法論を構築していかなくてはいけないと感じています。特に、資本主義の外部性である文化をうまく取り込むにはどうすればいいか。そのあたりも視野に入れながら、今後の研究を進めていきたいと考えています。

WEB限定コンテンツ
(2017.6.30 コクヨ エコライブオフィス品川にて取材)

text: Yoshie Kaneko
photo: Tomoyo Yamazaki

山内氏は2004~2010年、ゼロックスのパロアルト研究所で研究員として在籍した。

山内裕(やまうち・ゆたか)

京都大学経営管理大学院准教授。1998年京都大学工学部情報工学卒業、2000年京都大学情報学修士、2006年UCLA Anderson Schoolにて経営学博士(Ph.D. in Management)。Xerox Palo Alto Research Center(PARC)研究員、京都大学経営管理大学院講師を経て、2015年4月より現職。組織論を専門とし、主にサービスを対象に研究している。‎

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