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見えないものを見えるものにする。
それが変革をもたらす唯一の解

コンフリクトにこそ驚くべき知恵が隠されている

[岩佐大輝]農業生産法人 株式会社GRA 代表取締役CEO

最初の会社を作ったのは2002年。景気変動の波は受けながらも、おおむね経営は順調でした。でもここで改めて経営を勉強しておこうと、MBA取得を視野に2010年、グロービス経営大学院へ通い始めました。東日本大震災が起きたのは、その矢先のことです。

私は東京の自宅にいて無事でしたが、実家のある宮城県の山元町* は大変なことになりました。なじみの場所が津波にのみ込まれていく様子がテレビに映し出され、「嘘だろ?」と、すぐには現実を受け入れられませんでした。山元町の実家に電話をしようとしてもつながらず、おまけに妊娠中の妻はまさに震災当日、福島の実家へ里帰りしていたんです。「みんな、もうだめかも」と、頭が真っ白になりました。

絶望しかけたものの、その後何とか連絡が取れて、妻もお腹の子どもも両親も無事が確認できました。でも、友人や知人には亡くなった人や行方不明の人がいました。情報の不足を痛感していたので、山元町の被害状況を知らせる情報サイトをボランティアで立ち上げたら、1日で40万くらいのアクセスがあったんです。あのときは本当にみんな情報に飢えていましたね。

3日後に現地へたどり着いたら、戦後の焼け野原のよう。がれきの山、めちゃくちゃになった住宅や車の間を自衛隊の車両が行き交って、自衛隊員や消防隊員が棒を片手に遺体を捜索していました。見たことのない不気味な光景でしたね。

避難所に行くと、友だちはもちろん、小さいころに面倒を見てくれたおばちゃんやおふくろの友達まで、みんな僕を見るなり「よく来てくれたね」と抱きついてくるんです。それくらいすがるものが何もなかったわけです。井戸のあるお宅から水を分けてもらったりしながら、みんなで肩を寄せ合って生きる。そういう生活を現地でしばらく送りました。大変だったけれども地域のつながりを肌で感じる機会になりました。

目先の行動目標より、上位概念を示して人を巻き込む

翌月から東京の仲間と一緒にボランティアツアーをスタートしました。がれきの撤去や汚泥のかき出しをしながら、この町を復旧させるために、自分にできることは何だろうと自問を重ねました。

復旧にはまず雇用が必要です。雇用があるところに人が集まり、町ができ、産業が生まれる。そこにまた人が育っていく。そういうグッドサイクルを作らないと、サステイナブルな地域開発にならないと思いました。

そのサイクルを山元町で起こすには、イチゴという地場産業が足がかりになります。日本全体においても、農家は後継者不足が深刻です。町の復興に加えて、若手の僕らが農業に参入する事例を作ることができれば、この問題の解決に何かしら貢献できるのではという思いもありました。

そこで2011年7月にNPO法人「GRA」を立ち上げ、津波被害を免れたイチゴ農家にヒアリングして回りました。そこで見えてきたのはイチゴの流通の複雑さでした。特定の出荷組合に属していると、違うルートに販売できないんですね。これでは新規参入は難しいと感じました。一方で、自分は会社を10年近く経営してきた経験があるし、MBA取得に向けて勉強もしています。いっそのこと、自分で経営体を作ってみようと思い立ちました。

でも1人では事業はできません。人を巻き込むにあたっては、目先の行動目標より、上位概念を示すことが大切です。僕の場合、「農業をしよう」「イチゴを作ろう」ということより、「山元町を人が集まる町にしよう」「若い人たちが挑戦できる社会を作ろう」と話しました。人間は金銭的なものだけじゃ長続きできないですからね。収益だけでは組織は長期間存続できないし、グッドサイクルまで地域を持っていくこともできません。

この考えに、ボランティア活動を通じて知り合った地元の社会福祉協議会の橋元洋平さんも共鳴し、退職して参画してくれることになりました。手始めにイチゴ農家だった私の祖父に土地を借りて、1000万円で500平米の小さなビニールハウスを作り、さらに洋平さんの親せきでイチゴ栽培の大ベテランである橋元忠嗣(ただつぐ)さんを迎え入れて、2011年11月にイチゴの栽培が始まったのです。

匠の技の形式知化をテーマに先端農業を追求

忠嗣さんは35年間、奥さんと2人でイチゴだけを作ってきました。1年のうち休みは元旦だけ。イチゴ一筋の職人、匠です。「若いもんが中途半端にやってうまくいくもんじゃない」「自分の背中を見て育て」「10年間修業しろ」と、最初のうちはことあるごとに言われました。

イチゴにかけるこだわりや情熱は素晴らしいし尊敬もするんですけど、若い人を集めて農業を強くして地域を支えようという観点で考えると、その姿勢では難しいと思うんですね。もう少し農業を産業化する姿勢が必要じゃないかと思いました。そのためには忠嗣さんの経験や知恵を、他人が共有しやすいように形式知化する必要があります。

そんなことを考えていたとき、農林水産省のプロジェクトとして、山元町でイチゴの研究事業を始めると聞き、その受託農家に応募したところ、選んでいただきました。ITを使った先端園芸の研究ということで、まさに匠の技の形式知化がテーマとなります。いいタイミングで、いい機会を与えられました。

研究事業を進めるために必要な資金は5億円。3億円は補助金でまかなえましたが、残り2億円は個人補償で借り入れざるを得ませんでした。農業ビジネスは初めてで、しかもまだ軌道に乗っていない段階でこれだけのお金を借りるのはリスクでしたけど、こんな大勝負ができるのも生きていればこそですよね。志半ばで亡くなった犠牲者のことを思うと、やれることは何だってやってやろうと闘志が湧いたし、震災のインパクトから立ち直って、さらに変革を起こすところまで行くには、相当思い切ったことをやらないといけないと考えて決断しました。

農業生産法人 株式会社GRAは、宮城県亘理郡山元町を拠点に、農産物の生産、産地開発、農業技術の研究開発、農業交流事業、分析業務、栽培管理システムの開発を行う。GRAはGeneral Reconstruction Associationの略。創業は2011年7月。
http://www.gra-inc.jp/

* 山元町
宮城県亘理郡山元町。宮城県の東南端、太平洋沿岸に位置し、東日本大震災では住居の約半数が全半壊、600人以上が亡くなった。町の主要産業はイチゴだったが、129軒あったイチゴ農家のうち122軒が壊滅した。

ベテランの暗黙知を定量化し、
形式知に変えていくのが我々の仕事

2012年1月に農業生産法人 株式会社GRAを立ち上げ、先端農場も完成、稼働が始まりました。でも、栽培の現場では毎日のように衝突がありました。

35年の蓄積を信じてイチゴを育ててきた忠嗣さんの世界と、僕が勉強してきた経営やMBAの世界は、拠って立つものもスピード感も全然違います。僕はイチゴの栽培環境について植物生理的に理解したうえでゴーサインやノーを出したい。それは事業の責任者として当然ですよね。でも職人は感覚で判断するわけです。

例えば、おいしいイチゴができたときの実績から温度、光、たい肥、水分などのデータを割り出して、その環境を再現すればおいしいイチゴが必ずできそうなものですけど、そうじゃないんです。教科書に「最適な栽培温度は5度」と書いてあったとして、ハウスの温度をそう設定しても、忠嗣さんが「寒い」と言ったら、その温度では低すぎるんです。彼が言うとおりに設定温度を上げると、イチゴが元気になるんですよ。ここが面白いところなんですけどね。

イチゴの葉の管理にしてもそう。葉の枚数を多くして光合成量を最大化したほうがいいというのが定説ですけど、彼は葉がありすぎると新しい芽が出てこないから一定の枚数を残して刈り取れという。そうすると確かにいいイチゴができてくるんです。どちらが正しいかは今のところまだ分かりませんけど、ともあれ農業は土地のものだからセオリーも地域ごとに特化するということなんでしょう。

忠嗣さんは山元の地で、あらゆることを35年の間に経験しているわけですよね。肌で状況を感じ取って、なんとなく風が強いなとか、なんとなく寒いなとか判断をされる。それがその地域における正解だったりするんです。でも、その吸い出しだけでは新しいものは生まれません。それを形式知化するのが我々の仕事です。

主張と主張がぶつかり合う部分に、潜在的な課題がある

ITの発想はゼロと1しかないシンプルなもので、割り切ることができます。だから円相場がいくらになったら、どの株を買うといった自動株式売買システムもできるわけです。僕は農業でも同じことができるんじゃないかと考えました。温度が何度を下回ったらハウス内のヒーターを作動させるとか、条件付きでトリガーを設定するわけですね。あらゆるものを数字に落とし込んで、それを人間がコントロールできるようにしていくということです。

だけど、肝心のトリガー、すなわち数字の設定やイベント実施のタイミングは農業界にいないと分からない。そこが暗黙知になっているのが今の日本の農業の問題点です。暗黙知に暗黙知を重ねても、新たなものは生まれません。暗黙知を定量化して形式知に落とし込み、その形式知を運用していく中で、新たな暗黙知がまた生まれる。それを検証することで形式知として認知される。そういうモデルの繰り返しでPDCAサイクルは正しく回ります。

どんなノウハウでもそれを進化させて、イノベーションと呼ばれる領域にたどり着かせるには形式知化のプロセスが必要で、匠の技とかいうような言葉に惑わされてはいけない。匠の技を鍛えるためにこそ形式知化しなきゃいけないんですね。

これは、刀鍛冶の世界にも通じる話のようです。高名な刀鍛冶の方が話していらしたことですが、「刀は職人の感覚で作られると思われがちだけど、行くところまで行くと理屈が重要なんだ」と。どんな鉄を、どんな温度で、どう反応をさせるかという、ロジックの世界なんだそうです。ロジックを組み立てて技を極めて、そこからさらに何かしら感じるものを追求していく、その繰り返しだとおっしゃっていました。

これは伝統工芸や伝統産業で特に言えることだと思います。農業も例外ではありません。見えないものを見えるものにしていくことが変革をもたらす唯一の解なんじゃないか。匠の技に匠の技を積み重ねてもいいものを証明できないし、再現性もないから、そこを精緻化していかないと思います。

データという形式知と、忠嗣さんの暗黙知を融合するのは生半可なことではできません。研究サイドから理屈に基づいた提案をすると、忠嗣さんが猛反対して衝突する。その繰り返しです。でも、それこそがまったく新しいものが生まれる一番重要な契機です。主張と主張がぶつかり合う部分には、潜在的な課題、技術的に開発されていないテーマ、あるいは驚くような知恵が隠されていることが多いですからね。そういった意味で、コンフリクトは避けるべきものでなく、あっていいものだと思います。

東京の百貨店で1粒1000円のイチゴとして話題を呼ぶ

試行錯誤の末、2012年の12月には、高品質のイチゴが生産できるようになってきました。僕らのイチゴは「ミガキイチゴ」として売り出し、東京の百貨店にも並んでいます。伊勢丹新宿本店では1粒1000円のイチゴとして話題を呼びました。

出荷量も増え、2013年度は約50トンでしたが、2014年シーズンは大幅に増える見通しです。農地も最初の500平米から、今は4万5000平米と9倍になりました。取扱店舗数も拡大していますし、ミガキイチゴを加工したスパークリングワイン「ミガキイチゴ・ムスー」も好評です。海外展開も進めています。

イチゴはこれからが旬。今シーズンにどれだけ多くの人に喜んでもらえるか、そしてそれを復興の足掛かりとできるか。出荷の最盛期は忙しくもありますが、すごく楽しみでもあります。

WEB限定コンテンツ
(2014.10.24 港区の株式会社ズノウ 表参道オフィスにて取材)

農場ではテレスカウターを装着し、スタッフ間でスピーディな情報共有を図る。右は橋本忠嗣氏。(写真提供:GRA Inc.)

ハウスにて、摘みたてのイチゴを手にする岩佐氏。(写真提供:GRA Inc.)

岩佐大輝(いわさ・ひろき)

1977年、宮城県山元町生まれ。日本、インドで6つの法人のトップを務める経営者。大学在学中の2002年にITコンサルティングを主業とする株式会社ズノウを設立。東日本大震災後は、特定非営利活動法人GRAおよび農業生産法人GRAを設立。先端施設園芸を軸とした「東北の再創造」をライフワークとするようになる。故郷のイチゴビジネスに構造変革を起こし、地域をブランド化。大手百貨店で、ひと粒1000円で売れる「ミガキイチゴ」を生み出す。2012年にグロービス経営大学院でMBAを取得。2014年に「ジャパンベンチャーアワード」(経済産業省主催)で「東日本大震災復興賞」を受賞する。
http://www.gra-inc.jp/

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