このエントリーをはてなブックマークに追加

介護や子育ての負荷を軽減。「福祉の外部化」が家族を救う

確かな公助が自助や共助を生み出す

[筒井淳也]立命館大学産業社会学部 教授

シェアハウスやコリビング* など、家族以外の複数のメンバーと一緒に暮らす動きが出てきています。

家賃や光熱費を浮かせるという経済的な合理性を追求するだけでなく、疑似家族的なコミュニティ、あるいは独自のセーフティネットをつくって精神的な充足を求めようとする意図もあるのでしょう。

人生を懸けてもいいと思えるのは家族だけ

とはいえ、誰でもシェアハウスに参加できるわけではないと思います。基本的には経済的・身体的・精神的に「自立」している人しかシェアのメンバーに入れないのではないでしょうか。

例えば5人で部屋をシェアしているとしたら、5人とも元気で、それなりの収入があるはず。仮にその中の1人が寝たきりの生活になったり、職を失って収入がなくなったりしたとしたら、あるいは重い精神疾患を発症したら、果たして他のメンバーはその人をサポートしながら共同生活を続けるでしょうか。

もちろん続ける人もいると思いますが、自分の時間やお金、そして精神力を少しずつ削ってでも誰かを支えようという覚悟を、シェアをする全員が持っているとは考えにくいような気がします。

シェアハウスと家族が違うのはそこです。家族であれば、自立していない人もその中に含んで面倒を見よう、共に生活していこうという規範がまだ強くあります。現状、人生を懸けてもいいと思えるのは基本的に家族だけなんですね。言い換えればシェアハウスでも、5人のうち1人が手がかかるから、残り4人で一生面倒見ましょうとなったら、それはもう「家族」といえるでしょう。

福祉の外部化は、将来の家族の数を増やすことにもつながる

一方で、家族だからといって介護の全てを負担すべきだという考えを認めてしまうと、それは危険です。前編で、日本には家族が育児や介護を全面的に担うべきとする「日本型福祉社会」構想の影響が色濃く残っていると説明しましたが、「家族主義」を強いられた結果、つぶれてしまう家族は少なくありません。老々介護やヤングケアラーの問題がすでに顕在化していますし、最悪の場合、介護殺人にまで発展する可能性もあります。

家族で介護が必要になったときは、福祉施設やケアサポートのような公的支援を活用すること、いわば福祉の外部化が現実的な選択肢となるでしょう。公助としての外部サポートを導入することで、家族の負担を軽減するわけです。逆説的ですが、このようなサポートが家族に限らずケアのニーズがあるところで得られるのなら、「自立」していない人もシェアのメンバーに入れるかもしれません。

また、福祉の外部化は今ある家族を救うだけでなく、将来の家族の数を増やすことにもつながります。例えば、結婚を考えている相手の家族に介護が必要な人がいたら、「自分も介護を任されるのかな」と考えて、その結婚をためらう人がいるのではないでしょうか。

でも福祉行政がしっかりしていて、経済的依存や身体的依存(要介護状態)、精神的依存のある人も公的にしっかりカバーできれば、結婚の不安が払しょくされます。家族そのものをつくり出すカップル形成と出産が生じやすくなるわけです。北欧などの福祉国家はまさにそういう社会で、行政が重い負担を担ってくれるので家族の負荷はそれほど大きくありません。だから気軽にカップルができて、子どもも気軽につくることができる。

家族なりシェアハウスなり、個人にとってかけがえのない拠り所を持続させようと思ったら、共助だけでは不十分で、公助は不可欠です。今の政府は「自助、共助、公助」を方針に掲げています。「公助に限界があるので、自助と共助で頑張ってください」という意向が透けて見えますが、実は公助がしっかりしていなければ自助も共助もうまく機能しないのです。

一人暮らしの高齢者は周りが助けにくく、孤独死のリスクも

相次ぐ高齢者の孤独死も、公助の必要性を示しています。

孤独死の原因は大きく2つあると考えられます。1つは、当事者は圧倒的に男性が多いんですが、男性特有のプライドの高さから助けを求めにくいということ。もう1つは、孤独死しそうな方は周りが助けにくい。要は、手を差し伸べるのに勇気が要るということです。

ケースバイケースなので、あくまで一般論ではありますが、一人暮らしで体の不自由な高齢者が近隣にいたとしたら、あまり頼りにされても困るという意識が周囲の人々に働くのではないかと思われます。

実際、私の知っている男子学生がそういう人を少し手助けしたら、自宅前で待ち伏せされたり、勝手に家の中に入ってきたりするようになったといいます。仏様のような無限の慈悲の心があるならともかく、たいていの人は自分の生活が大事ですから、そんなことになったら関わりを絶つしかない。そうすると、その高齢者は孤立することになってしまいます。こういうケースも現にあるわけですから、無条件で共助を当てにするのは酷だと思うのです。

だから、肝心なところではやはり行政がやるしかないんですよね。本当に困ったときには行政が頼りになるという信頼があれば、困っている人にも気楽に声をかけられるようになるのではないでしょうか。

(トップ写真:Capstone Events on Unsplash)


筒井氏のブログ「社会学者の研究メモ」。
https://jtsutsui.hatenablog.com/

* コリビング
さまざまな職業の人が住まいとワークスペースを共有する住職一体の施設。


筒井氏。取材はオンラインで行った。

生きる基盤を公助で支え、ライフスタイルを
多様化する「リベラル派の理想の親密性」

社会の多様性を担保しようと考えたとき、重要なのは「男性も女性も経済的に困窮せず、その上で自由に結婚したりしなかったりするような、そういう社会」が望まれると思います。こういう状態を、私は「リベラル派の理想の親密性」と呼んでいます。親密性という言葉は、家族、友人関係、恋愛関係、同棲などを含む広い概念を示しています。

ちょっと難しく思われるかもしれませんけど、そんなに面倒な話ではなくて、人が生きる上の基盤を支えるのは負担が重いので、そういうところはみんな=公助で分かち合おう、あとはおのおの自由にやろうという、そういう発想です。

弱者を助けようという発想を持たないと、少子化は進み、家族も機能しなくなっていくでしょう。家族が本当に大事だと保守派の人が考えるなら、家族を助けないといけないと思うんですが、家族の絆を重視するあまり、家族がどんな状態にあろうとも身内が面倒を見るべきだという結論に、なぜか着地してしまうんですね。

言い換えれば、誰かに依存しないと生活できない人がいたら、その家族に負担を押し付けるという感じ。何だか話がすり替えられている気がしてなりません。

気軽に助けを求められる人間の方が楽に生きられる

自己責任、自己完結の世界で、自分のことは自分で面倒を見るという社会は成り立ちません。公助でしか支えられない領域があることを、広く多くの人に考えてほしいと思います。

そもそも人間は生まれてから死ぬまで、広い意味では助け合わなければ生活していけないんですよね。それを認めれば、人生が少し楽になる気がします。

特に男性はプライドが邪魔して、見ず知らずの人と一から関係をつくるのが苦手という人が多い。会社で与えられたポジションで人間関係をつくるのに慣れてしまったということもあるのでしょう。私自身もパーティで知らない人とうまく話せないので、これは自戒も込めて言うことですけど、老後に地域や福祉施設で孤立しないようにするには、人付き合いのスキルを磨いておくことが大事だと思います。

さらに言うと、困ったときに気軽に助けを求められる人間の方が何かと楽でしょうね。これも特に男性に言えることです。困っているから助けてと声を上げれば、助けてくれる人や団体と何とかつながっていくものです。けれどもプライドを持って、「俺は自分のことは自分でやるんだ」と意固地になっていると、どんどん孤立していきます。

前編で日本の公的サポートの不十分な点を指摘しましたが、それでも困ったときには助けてくれます。なので、あとは自分がその土台に乗って、人とコミュニケーションしてうまく関係を作っていけるかどうか。そういうスキルは一朝一夕には身につかないので、特に人付き合いの苦手な男性は若いうちから意識改革が望まれるでしょう。

「お墓問題」には夫婦や家族の関係性が如実に表れる

家族や結婚、仕事といったテーマでいろいろ研究してきましたけど、今私が注目しているテーマの1つが「お墓」です。

どのお墓に入るかという問題は、夫婦や家族の関係性が如実に表れます。地域によって意識が違うものの、夫の家の墓には入りたくないという妻が増えているようです。それで夫婦別々の墓を作る動きもありますね。共同墓や永代供養墓にも注目が集まっていて、これは子どもや孫の墓参りの負担を減らすという狙いもあるようです。

最近見たお墓の広告では、夫と一緒に埋葬されたくないという女性がイラストで描かれていました。夫が嫌になっちゃったんでしょうね(笑)。夫の親族と縁を切るため、死後に籍を抜くケースも散見されます。その場合、自分の死後に入るお墓も、当然夫方のものではなくなります。

家族の形は急激に変わりつつあります。親子関係が希薄化しているという声をよく聞きますが、これは誤解で、実際は真逆のことが起きていると思うんです。

今は少子化で、子どもは一人か、せいぜい二人ですから、むしろ親子関係は緊密になっている。しかも寿命が延びているので、親と子が付き合う期間も長くなっているわけです。でも何となく希薄化しているようにみんな思っている、そういう誤解がなぜ生じるのか、背景にあるものを研究でひも解いていけたら面白いですね。

WEB限定コンテンツ
(2021.1.13 オンラインにて取材)

text: Yoshie Kaneko

(イメージ写真:Tim Mossholder on Unsplash)


筒井氏の著書『結婚と家族のこれから――共働き社会の限界』(光文社新書)では、現代日本の問題を雇用、家事・育児、少子高齢化、世帯格差といった切り口で分析。結婚と家族の将来像について考察している。

筒井淳也(つつい・じゅんや)

1970年福岡県生まれ。一橋大学社会学部卒。同大学大学院社会学研究科博士課程後期課程満期退学。博士(社会学)。現在、立命館大学産業社会学部教授。専門は家族社会学、計量社会学。著書に、『制度と再帰性の社会学』(ハーベスト社)、『親密性の社会学』(世界思想社)、『仕事と家族』(中公新書)、『結婚と家族のこれから』(光文社新書)、『社会を知るためには』(ちくまプリマー新書)など。(写真提供:筒井氏)

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

RECOMMENDEDおすすめの記事

社員の主体性とモチベーションを 引き出す仕掛けとは?

[曽山哲人]株式会社サイバーエージェント取締役人事本部長

10年後、人工知能に取って代わられる職業とは

[松尾豊]東京大学 大学院工学系研究科 技術経営戦略学専攻 准教授

TOPPAGE
2022年7月、「WORKSIGHT[ワークサイト]」は
「自律協働社会のゆくえ」を考えるメディアへと生まれ変わりました。
ニュースレターを中心に、書籍、SNS、イベント、ポッドキャストなど、
さまざまなチャンネルを通じてコンテンツを配信します。

ニュースレターに登録する